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Original subtitles

(拍子木の音)

(ハエが飛ぶ音)

(近づく足音)

(里見義実さとみよしざね) 籠城ろうじょうして ひと月となるか

(金碗八郎かなまりはちろう) 皆 丸七日 何も食べておりませぬ

(義実) これでは 討って出ることも叶かなわぬ

もはや これまでか…

(八郎) ええい 憎きは安西景連あんざいかげつら!

三年前の大飢饉ききんの折には 五千俵もの支援をしたというに!

(金碗大輔だいすけ) こちらが飢饉に見舞われると

大軍で攻め入るとは…

(八郎) 殿の恩を 仇あだで返すとは!

♪~

~♪

(犬の鳴き声)

(義実) おお 八房やつふさ

♪~

♪~ お前も食べておらぬだろうに

変わらず元気だのう

ああ そうだ

お前

景連を 噛かみ殺してくれぬか?

もし お前が見事 景連の首を取ってまいったら

魚肉など いくらでも褒美は くれてやるぞ

(鳴き声)

それでは足りぬか…

ならば

伏姫ふせひめを お前の花嫁にしてやろう

(伏姫) およしなされませ

八房は ただの犬ではありませぬ

人の言葉を解しまする

(義実) ハハハハハッ

わしとしたことが とんだ戯ざれ言ごとを

最後まで姫に叱られるとは

不肖な父を許してくれ 伏姫

(うなり声)

(吠ほえ声)

(伏姫) 八房!

~♪

♪~

(義実) 何の騒ぎだ

(八郎) 殿 ご覧ください

安西軍が 四散しておりまするぞ!

(家来たち) 止めろ そっちだ そっちへ行った

(大輔) 何事じゃ!

景連…

討て! 今こそ討って出よ!

(八郎・大輔) おう!

~♪

(家来たち) えいえい おー!

えいえい おー!

(八郎) 色をもって 安西景連を操り

己の快楽のために 民を虐しいたげたばかりか

周辺諸国まで害を及ぼした 大妖婦だいようふめ

ここで成敗してくれる!

(玉梓たまずさ) 恐れながら

♪~ 楽しみを欲しいままにしたのは 私わたくしではありません

楽しみを欲しいままにしたのは 私わたくしではありません

景連殿でございます

“女の苦楽は他人に因よる” と申します

景連殿に寵愛ちょうあいされたのが悪いと おっしゃられても

弱い女に 他に どんな道があるのでしょう

ましてや

私が お仕えした 先代の殿様を滅ぼしたのは

金碗八郎様 あなた様の お弟子たちです

それゆえ

私は景連殿に 拾われたのでございます

この女の言うことには 一理ある

縄を解いてやれ

(家来) はっ

お慈悲をいただき ありがとうございまする

(八郎) いや 待て!

うぬが そんな 哀れな女でないことは

わしが この目で見て よう知っておる

(大輔) 父上の言うとおりじゃ

うぬが 景連と並ぶ 大悪党であることは

安西の領民ならば 皆が知っておること

殿 やはり なりませぬ

この女を成敗せねば

領民に対して 物の筋が立ちませぬ

領民とな…

ならば その首 はねよ

里見義実!

いったんは許すと言いながら

人の命を もてあそぶとは…

殺さば殺せ!

この玉梓の怨念で 里見家を呪い尽くしてくれるわ!

ええい!

(玉梓) 義実!

一度 口にしたことの重みを 思い知らせてくれる!

孫子まごこの代まで

ことごとく 畜生道に落としめ

煩悩の犬と変えてやる!

うりゃあ!

(玉梓の声) アハハハハハ…

アハハハハハ…

アハハハハハ… ~♪

~♪

(鳥のさえずり)

♪~

(世四郎よしろう) 姫 姫…

(家臣たち) 殿

(うなり声)

何をいたす 八房

姫を放せ!

放さぬなら 畜生ながら成敗いたす

お待ちくださいませ

お待ちください 父上様

私わたくしには

八房の心が分かります

何?

八房は

父上との約束が果たされないので 怒っているのです

馬鹿ばかなことを申すな!

馬鹿なことでは ございませぬ

里見家の当主であられます 父上様が

いったん口に なされた お言葉は

あとで取り消すわけには まいりません

姫…

お前は何を考えておるのじゃ

私は

八房の花嫁に ならなければならないと

考えているのでございます

(玉梓) 義実!

一度 口にしたことの重みを 思い知らせてくれる!

孫子の代まで ことごとく畜生道に落としめ

煩悩の犬と変えてやる!

この犬は魔性のものに 取とり憑つかれておるぞ

もし魔性のものに 取り憑かれているなら

私が救ってやりましょう

(うなり声)

父上

私が 里見家から 魔性のものを遠ざけまする

(吠え声)

伏姫 伏姫!

~♪

(八郎) どうじゃ?

(家来) 二ツ山の探索を 終えましたが

伏姫様らしき お姿は いずこにもあらず

ええい! その言葉 聞き飽きたわ!

(伏姫) 以方便力故いほうべんりきこ

現有滅不滅げんうめつふめつ ♪~

余国有衆生よこくうしゅうじょう

~♪

間違いないのじゃな?

大輔が しかと 見届けてまいりました

大輔 お手柄じゃ

さすが八郎の子じゃ

はっ もったいなき お言葉

(うなり声)

撃て!

(義実) 伏姫!

(義実) 伏姫! ♪~

♪~

姫!

姫…

最期に

お伝えしたいことが ございます

口を開くでない

誰か 布を持てぃ!

(家臣) はっ!

伏姫様…

お許しください

八房に取り憑いた怨霊は

私の祈りで 浄化いたしました

しかし

怨霊の力 強く…

いまだ

里見家への怨念は

すべて… 消し去ること…

叶いませず

(義実) おのれ 玉梓が怨霊め…

(伏姫) 父上様 (義実) うん

(伏姫) これを…

今 この珠たまに祈りを込めました

この八つの珠を持つ者たちを

お探しください

私の代わりに

必ずや…

里見家の… お力になりましょう

(義実) 姫…

姫!

~♪

(滝沢馬琴たきざわばきん) これが

「八犬伝」の始まりだ

どうかね?

まだ発端だけだが…

絵になるかね?

(葛飾北斎かつしかほくさい) いや~

何をしてる?

(北斎) こんな コッチンコッチンの

石灰で固めたような頭から

よく そんな途方もない物語が 生み出されるもんだ

…で 面白いのか? 面白くないのか?

(北斎) 面白い

この前 おいらが挿絵さしえを描いた この「弓張月ゆみはりづき」も

相当 面白かったが

それ以上だ

では 「八犬伝」の挿絵 描いてくれるか?

ああ…

描かん

“描かん”?

あんたに文句を言われ言われ 挿絵を描くのは

もう懲こり懲ごりだ

描いてくれるなら もう文句は つけん

(北斎) つける

あんたが

文句をつけんことは…

金輪際ない

(階段を上がる音)

(鎮五郎しずごろう) お父様

堀内様の奥女中おくじょちゅうの方が

愛読者ゆえ 一度お目にかかりたいと お見えになりました

紹介状がなければ会わんと

いつも申しつけて おるではないか 鎮五郎

既に そのように お伝えし お引き取りいただきました

よろしい 下がってよい

(北斎) 今どき… ああ 珍しい

(馬琴) 何が?

(北斎) あ? あんたの息子

当世 親を馬鹿にする子が 多いってのに

あの歳としで 親にあれほど シャチホコばってるのは

お武家ですら珍しいよ

(馬琴) それが当たり前で 世間が間違っておるのだ

(北斎) そういや

鎮五郎を お武家にするとか 言ってなかったかい?

滝沢家を また武家に戻すのが

私の悲願だ

だから 鎮五郎を 医者の見習いに出している

医者と お武家は 関係ねえだろうが

(馬琴) どこかのお大名に 医者として お抱えいただき

扶持ふちをもらえば

それはもう 立派な武家だ

(北斎) ハハッ ふーん…

それにしても 大した人気じゃねえか ええ?

奥女中が わざわざ 訪ねてくるなんてよ

(馬琴) 人気があると言っても 私は

一介の戯作者げさくしゃにすぎん

大衆の娯楽のために

作り話を書いているだけだ

(北斎) そうかねぇ

おいらは 戯作者“曲亭きょくてい馬琴”を

大したもんだと思うがねぇ

葛飾北斎に褒められて 悪い気は せんが

書きたいものは もっと他に たくさんある

じゃあ 「八犬伝」は よすかね?

お前さんが挿絵を 描いてくれないのであれば

それも考えねばなるまい

(北斎) ああ… ちょいと そこの…

紙と すずりを貸してくんな

(太鼓の音)

♪~

(北斎) ああ ほら…

出来た

見てくんな ほれ

人様の筆で 走り描がきだが…

これだ

これが欲しかったのだ

やる!

「八犬伝」は やる!

おうよ そのほうがいい

~♪

~♪ (階段を駆け上がる音)

何だ! 騒々しい

お客様でございます

(馬琴) 誰だ?

毛利様の御老女と 奥家老おくがろう様でございます

毛利様とは…

あの お大名の毛利様か?

(鎮五郎) さようです

なんでも 今年 七十になられる 御後室ごこうしつ様が

以前から「弓張月」を ご愛読あそばされ

ぜひ一度 馬琴の話を 聞きたいとのことで…

お断りしてくれ

(鎮五郎) え?

(馬琴) 初めての客は 紹介状がなければ 会わん

それは分かっておりますが

馬琴の都合のよい日で よいが

もし今日 来てくれるならと

ご用意のお駕籠かごまで お連れで

家の前には お供のお中間衆ちゅうげんしゅうも 大勢 控えられておられます

(北斎) ええ?

あら~

(馬琴) 今日は折悪あしく 気分が優れず

引きこもっておりますと お伝えしてくれ

お父様が お会いになって そう申し上げてください

会えば 私が病気でないことが 分かるではないか

(北斎) 声 声!

(馬琴) 鎮五郎!

親の難儀が助けられぬと 言うのか!

(舌打ち)

はあっ…

(北斎) へへへへ…

偉えれえもんだなぁ

お大名からのお呼びに 肘鉄を食らわせるとは…

この面白くも おかしくもない偏屈に

御後室のお話し相手など 務まるわけがない!

“偏屈だ”って自覚あったんだ

(毛利家の家来) 出立しゅったつ!

(太鼓の音)

♪~

♪~ (北斎) とんだ長居をした おいらもそろそろ お暇いとましよっと

(北斎) とんだ長居をした おいらもそろそろ お暇いとましよっと

(馬琴) おい!

なんとしても 描いては くれんのか?

(北斎) ああ そうだ… そのことだがね

できたら その挿絵を

婿の重信しげのぶって絵師に 描かせちゃもらえねえだろうか

お前さんが 家族のために 頼み事をするとは

珍しいな

なあに

婿というより 孫かわいさでね

(馬琴) これは驚いた

子供など関心がないと 思っておったが

孫は おいらが 育てるわけじゃないからね

おいらが育てなきゃ ならねえんだったら やっぱり

放り出しだけどな

その点においては

お前さんと私は 天と地ほど違うな

あんた 構い過ぎ

おいらは放り出し

しかし 子供にとっちゃあ どっちがいいかってぇと

まだ放り出しのほうが 幸せなんじゃないかね

(お百) えっ 何だって? なんてことするのさぁ

(北斎) おや お百さんたち お帰りだね

(階段を駆け上がる音) ~♪

(お百) あんた!

今 毛利様のお使いが おいでになったんだって?

(馬琴) ああ うん

せっかくの 御後室様からのお召しを

けんもほろろに断るなんて

あんた 何 考えてんだい!

お前たちの 知ったことではない!

(お百) 鎮五郎に 関係あるじゃありませんか

何が?

鎮五郎が お医者になったら

どこか お大名のお抱え医者に するつもりなんでしょ?

毛利様は何よりも その手づる!

(馬琴) あっ!

気づかなかった

それ ご覧

何かにつけちゃ 人を無学だの 無思慮だの

いっつも馬鹿扱いするくせに

肝心な時は 自分が大まぬけだ!

(お百) 冗談じゃないよ! (北斎) ひぃー

相変わらず おっかねえ

ああ それじゃあ

婿の重信の件 よろしく頼みますよ

(北斎) ん… (馬琴) おっ あの 待っ…

(北斎) ん?

誰が描くにしろ

その絵を参考にしたい

(馬琴) なっ 置いてってくれ (北斎) いや

これは あくまで おいらが描いた絵だ

重信が これに縛られたら かえって変なものになる

これは ないものとしよう

はい

(ブフー)

はい

ああ それじゃあな

あらよっと

(北斎) 知人にゃ 偏屈だと嫌われ

女房にゃ 侮あなどられ

子供にゃ 怖がられ

ご贔屓ひいきにゃ 剣突けんつく 食わせて怒らせる

その馬琴を面白がってんのは

まあ この北斎ぐらいなもん だろうぜ

でも

絵には ならんなぁ

フッ ハハッ ハハハッ…

(拍子木の音)

♪~

(水しぶきが飛ぶ音)

(犬塚いぬづか信乃しの) 父上

ようやく 父上のお言葉に従い

この名刀“村雨むらさめ”を 関東公方くぼう様に お返しする日が参りました

(浜路はまじ) 信乃様!

(信乃) 浜路…

(浜路) 明日

古河こがへ発たたれると お聞きしました

(信乃) 犬塚家の再興を 公方様に願い出る

(浜路) どうか…

浜路も一緒に 古河へ お連れください

どうしたのだ いきなり

(浜路) 何か…

悪い虫の知らせがございます

大丈夫 すぐに帰ってまいる

留守中 伯父上と伯母上のことを よろしく頼む

お父様は

新しいお母様が いらしてから

随分と お変わりになられました

(ひき六) 信乃!

伯父上 どうなされた?

明日は 信乃の大事な門出じゃ

わしが この手で大きな魚を釣って 今夜 ふるまってやろうと思ってな!

それは ありがたき幸せ!

本当に お優しいな 浜路のお父上は

~♪

~♪ (水しぶきが飛ぶ音)

(ひき六) ああっ…

伯父上!

伯父上! ♪~

♪~

(ひき六) ああっ

あっ…

(ひき六) ああっ あっ…

(信乃) うっ…

信乃様!

(水に飛び込む音)

(ひき六) おお

船虫ふなむし!

~♪

~♪ (船虫) ご無事で何よりです

子細は この者から聞きました

(ひき六) 信乃が わしを助けてくれた

信乃は わしの命の恩人じゃ

信乃 本当にありがとう

いえ 私より その新しい奉公人に 礼を言ってください

荘助そうすけが いなかったら 私こそ命を落としておりました

(船虫) そうかえ そうかえ

(信乃) ああ… ここに居たか 捜したぞ

ああ…

そのような大げさなことは やめてくれ

荘助は 私の命の恩人だ

♪~

(犬川いぬかわ荘助) 信乃様 お願いがございます

(信乃) 何だ? 何でも言ってくれ

(荘助) その首にかかる 袋の中のものを

見せては いただけませんか?

(信乃) この袋か?

お安いご用だ

これは 私が生まれた時に 手の中に握っていたそうだ

それから 私のお守りとして こうして大事に持っている

ほら

中に“孝”の字が 浮かび上がるだろ?

(信乃) これは…

(荘助) 信乃様 これを

先ほど 川で お見受けしました

(信乃) 何かで 繋がっている…

(船虫の荒い息)

まったく! 大失敗じゃないか!

(ひき六) あいつが来なければ

間違いなく 信乃は沈んでいたんだ!

あの忌々いまいましい奉公人め!

網乾あぼし先生は しくじっては いないだろうねぇ

(網乾左母二郎さもじろう) フッ…

(水しぶきが飛ぶ音)

おおっ…

ほとばしる水しぶき

まさしく 名刀“村雨”

(網乾) 刀身だけ入れ替えて

元に戻しておいた

(船虫) フフフ…

フフフフフッ… ~♪

(ひき六) 公方様に 堂々と 村雨を献上し

父上の遺言を成就するんじゃぞ

はい!

(船虫) 道中 お気をつけて

信乃様…

心配するな 浜路

それでは いってまいります

(奉公人たちの話し声)

ありがとうございます

あっ 危ないよ そこ

母上様

これは 一体 何の騒ぎですか?

これは… 今夜の祝言しゅうげんの準備だよ

しゅ… 祝言?

どなたの祝言ですか?

何を言ってるの

あなたの祝言に 決まってるじゃないか

♪~

♪~ 新しい陣代じんだいの皮上宮六ひがみきゅうろく様が お前を見初みそめられてね

新しい陣代じんだいの皮上宮六ひがみきゅうろく様が お前を見初みそめられてね

“ぜひとも妻に”との お申し出があった

そんな お話 私わたくしは聞いておりません

話したところで お前が お受けするわけもない

だからと言って

こんな騙だまし討ちのような…

捨て子のお前を ここまで育ててくれた お父様に

ご恩返しをする時が 来たのですよ

嫌です

お父様が お手討ちになっても いいのかい?

~♪

どうだね?

うん

ますます 面白おもしれえ

皮肉なものだな

へそ曲がりで 口の悪い絵師の言葉は

かえって信頼できる

(北斎) 漬物石の上に こう 文鎮ぶんちん いっぱい載っけて

押しつぶしたみてえな あんたの脳みそから

なんで そんな とびっきり上等な 筋書きが出てくるのか

どうにも納得がいかねえ

(馬琴) まあ 気に入ってくれたのであれば

約束どおり また二、三枚 下絵を描いてくれ

(北斎) まあ

婿の重信の絵を

使ってもらってるしな

前に聞いた発端のくだりは

二年くらい前だったかな

(馬琴) うん

(北斎) 去年 やっと 本になったんだよな

(馬琴) かなり売れておる

まあ そうだろうね

で… どうかね? 重信の絵は

(馬琴) ん?

よいのではないか 売れておるのだから

♪~

(馬琴) お前さんが孫のために 頼み事をするとは驚いた

それほど かわいいなら 一緒に住めばよいではないか

(北斎) ハハッ

孫なんぞが そばにいたら 絵なんか描けたもんじゃねえや

すぐに追い出しちまうさ

(馬琴) しかし今は 娘さんと暮らしてるんだろ?

(北斎) ああ? あっ 応為おういか

あれは お前 絵描きだから 娘というよりは 弟子みてえなもんだ

ヘヘッ

家うちでは おいらが “おーい”としか呼ばねえもんだから

自分で“葛飾応為おうい”って 名乗ってらぁ

ヘヘヘヘッ

ところで

「八犬伝」の舞台は安房あわだが

あんた いつ安房へ行ったのかね

(馬琴) いや 行ったことはない

安房へ行かねえで 「八犬伝」 書いてるのか

三百年も昔の安房の話だ

今の安房を見ると かえって害になる

(北斎) はあ~

おいらなんて 描きたくなったら この目で見なきゃ始まんねえよ

年がら年じゅう 旅だらけ

でも あんたは

この 本の山の中だけで あの物語を紡いでる

まったく どうにも 不思議で仕方がないな

(階段を上がる足音) ~♪

(宗伯そうはく) お父様 (馬琴) うん

誾花堂ぎんかどうさんが「朝夷巡島記あさひなしまめぐりのき」の 校正原稿を受け取りに お見えです

(馬琴) おう 出来ておる

(馬琴) 動くぞ (北斎) おお

(馬琴) これを渡してくれ (宗伯) はい

(北斎) おいおいおい…

鎮五郎は お医者になったのかね?

もうすぐだ

フフッ

その筋は いいらしい ハハハッ…

今は医者らしく 宗伯そうはくと名乗っておる

(お百) あんた

あんた!

あんた また修正を出したのかい?

(馬琴) ああ そうだ

(お百) ったく… 何度も しつこい男だね

京伝きょうでんや三馬さんばなんて せいぜい 直しは一回くらいというじゃないか

それを何だい! 三回も四回も…

(馬琴) 間違いを正さないまま 世に出すわけには いかんだろう

もう それじゃあ いつまでたっても

稿料が いただけないんだよ!

分かっておる

ったく…

じじい二人が朝っぱらから

狭い部屋に こもって 何やってんだか

怪しいもんだ!

ったく… 冗談じゃないよ (北斎の笑い声)

(北斎) ヘヘッ

(馬琴) まあ お百の言うとおりでもある

(北斎) ええ?

(馬琴) 世の中の 何の役にも立たない 私の戯作など

♪~ 少々 間違っていても 誰も困りは しないのだから

少々 間違っていても 誰も困りは しないのだから

(北斎) 「八犬伝」が 何の役にも立たねえって

本気で そんなこと思ってんのか?

戯作など そんなもんだろう

(北斎) うーん… あんた

なんで戯作 書いてんだい?

それは…

生計のためだな

お前さんは? 何のために絵を描いている?

おいらは絵が好きだからさ

子供の頃から ただ もう 絵を描くのが好きだった

私は商売としてやってきて

世間に認められるようになっても

どこか これは 本来の自分ではないと思っている

物語ばかりではなく

自分自身も…

虚きょの世界に居る

(北斎) するってぇと

家族も 虚の世界の人間かい?

(馬琴) いやいや

家族こそ

今の私の

実じつだな

おいらの場合

まさに家族は

虚だがね

ほら ~♪

~♪

はい 出来たよ

(馬琴) さすが葛飾北斎だ

これを 私にくれ

(北斎) いや 駄目だ

そんな約束じゃねえ

ああっ… ほら ほれ

そこを曲げて 頼む!

駄目だ ほら

さてと 今日は ここらで退散するか

また来るよ ハッ…

(北斎の鼻歌)

(ひぐらしの鳴き声)

(馬琴) 迎え火か

盆は あさってだったな

どれ 貸してみなさい

父上

母上

宗伯が

お抱え医師となり

武士の世界へ戻してくれます

もうすぐでござる

(拍子木の音)

(奉公人たち) 浜路様? 浜路様?

(皮上宮六) 花嫁が逃げた だと?

(ひき六) はっ 誠に面目次第もなき始末ながら…

(軍木五倍二ぬるでごばいじ) 貴様 陣代様を嘲弄ちょうろうするつもりか!

嘲弄など とんでもございません その証拠に…

大塚家秘蔵の 名刀“村雨”にございます

村雨…

噂うわさには聞いたことがあるぞ

さすがは陣代様 この村雨を引き出物として

陣代様に献上さしあげるつもりで ご用意しておりました

ほう… 見せてみい

(ひき六) はっ…

これが村雨…

振れば 水を発するのだな

さようでございます

(皮上) ん?

(皮上) ふん!

そんなはずは ござりませぬ もっと強く!

ええい!

水どころか この刀 錆さびておるではないか!

うぬは わしをからかっておるのか!

♪~

♪~ めっ 滅相めっそうもない! これは何かの手違いで…

めっ 滅相めっそうもない! これは何かの手違いで…

ああっ…

(皮上) ええい! (ひき六) ああ…

(女中たちの悲鳴)

網乾め

まあ いい

天罰を下してやるさ

~♪

(浜路) この道が 本当に 古河へ通じているのですか?

(網乾) いいや

浜路

俺と一緒に逃げて 楽しく暮らそう

(浜路) 信乃様のところへ 連れていくと

約束したではないですか

(水しぶきが飛ぶ音)

その刀は… ♪~

♪~

村雨よ

なんで…

あの馬鹿め

偽の刀を 公方様に献上するつもりだ

フッハハハハ

それを…

本当に村雨か よく見せてください

(網乾) 馬鹿な奴だ

さあ おとなしく村雨を返せ

(浜路) これは 信乃様の刀でございます

(網乾) うっ… ああ…

この女アマ!

(もみ合う声)

(浜路の悲鳴)

(舌打ち)

(網乾) 何だ お前は…

(犬山道節いぬやまどうせつ) その刀を置いて去れ

命だけは助けてやろう

(網乾) 片腹 痛いわ

(斬る音) (網乾) うっ…

(倒れる音)

(荘助) 待て!

網乾…

浜路様は どこだ?

“はまじ”…

~♪

~♪ ああ その男に斬られて 崖下に落ちた女人にょにんか

ああ その男に斬られて 崖下に落ちた女人にょにんか

嘘だ! 怪しき奴…

本当のことを話せ!

(水しぶきが飛ぶ音)

(荘助) ああっ…

その刀は…

悪いが これで定正さだまさが討てるのでな

その刀は信乃様のもの

返せ!

これは…

(道節) お前に構ってる暇はない

ふんっ!

♪~

~♪

(横堀在村よこぼりありむら) この者 故 足利持氏あしかがもちうじ公の遺臣の子で

犬塚信乃という者です

亡き父が 御主君から お預かりした名刀“村雨”を

公方様に献上いたしたく 罷まかり出ました

(足利成氏なりうじ) その志 誠に神妙である

いざ 御見ぎょけんに入れよ

♪~

~♪

~♪ あいや

しばらく お待ちを…

誠に恐れ入った儀で ござりまするが

その刀 村雨ではござりませぬ

何と申す?

私わたくしの持参いたしました刀

事前に 何者かに すり替えられておりました

願わくば 数日のお許しをいただき

本物の村雨を取り返し

改めて献上いたしとうござる

なにとぞ 今しばらくの ご猶予を…

(在村) うぬは間者かんじゃだな?

これに託して この城を 探りに来たに違いない

途方もない 私 天地天命に誓って…

それ ひっ捕らえて糾明きゅうめいせい!

(侍たち) はっ!

(侍たち) はっ! ♪~

♪~

(在村) 出合え 出合え!

(侍) ぐあっ…

(侍たち) 出合え 出合え!

(侍) ああっ…

何をしておる あれを討ち取れ!

誰か おらぬのか 成氏の家来に人は居ないのか!

犬飼現八いぬかいげんぱちを連れてこい

(重い扉が開く音)

(信乃) ううっ…

~♪

もはや これまでか

これは 足利家に仕える 犬飼現八と申す者

訳あって牢獄より罷まかり出た

おぬしを捕らえれば 無罪放免となるゆえ

神妙に お縄にかかれ

ここに一人で上のぼってくるとは あっぱれな覚悟だ

選ばれし強者つわものと見た

冥途の土産に よい腕試しとなろう

さあ

参れ!

♪~

やあっ!

(現八) うあっ!

うわっ…

おぬしは…

(2人) うわあああ!

~♪

ああ… これじゃあ お前 続きが気になって仕方がねえや

(馬琴) フフフフッ…

(北斎) しかし あの浜路はひどい

あれは お前 かわいそうすぎる!

(馬琴) その意味も あとで分かる仕掛けになっておる

とにかく 私は

正しき男たち 清き女たちの死を 無駄には せん

(北斎) そもそも 伏姫様からして

罪もねえのに 非業ひごうの死を遂げてんじゃねえか

まあ まあ まあ 心配は無用だ

私は 正義は必ず報われる という物語を

書こうとしているのだから

(北斎) 今んところ お前 人の運命さだめを もてあそぶ―

卑劣なじじいにしか 見えねえぜ

(馬琴) まあ 続きを楽しみにしていてくれ

(北斎のため息)

(北斎) ほれ

とにかく よろしく頼みますよ

みんな 待ってんだからよ

ところで 鉄砲が よく出てくるが

「八犬伝」の時代に 鉄砲なんてものが あったのかね?

(馬琴) いや 鉄砲が伝来したのは 天文てんぶん十二年のことだから

この物語より だいたい

六、七十年 後あとのことになる

やっぱり そうかい

(馬琴) 私は 読者に許されるであろう嘘は

どんどん取り入れる

そうよ

大戯作者 曲亭馬琴は そうこなくちゃな

以前 お前さんに “なんで戯作を書くのか?”と言われて

“生計のためだ”と答えた

(北斎) うん

しかし

本当は そうではないことに 気づいた

私は 結局

正しい者が勝ち 悪は罰せられる

♪~

♪~ そういう世界を 描えがく目的で

そういう世界を 描えがく目的で

戯作を書いているんだ

(北斎) この世は

そう うまくゆくかね?

(馬琴) ゆかんから

物語として書くんだ

悪が勝つこともある この世の中だからこそ

別の世界を

読者には味わってもらいたい

つまり

虚の世界だね

そうだな

悲しいかな それは

~♪

~♪ 虚の世界だ

(お百) ちょっと あんた まただよ~

隣の家の犬が 庭の畑 踏み荒らしてさ…

あっ

あんた 来てたのかい

いい家じゃないか お百さん

(お百) 前の家は 下駄屋だった私の実家だよ

婿に来た この人が 下駄屋ほったらかして

勝手に 物書きなんかに なっちまってさ

(お百) あんた! (馬琴) ん?

お高くとまった お武家の犬 どうにかするよう言っとくれ!

そんな大声で… 隣に聞こえるではないか

聞こえるように言ってんだ!

…ったく

「八犬伝」とやらを ずっと書いてるから 犬が寄ってくんだよ!

ハハハハッ…

あたしゃ 猫好きなんだ

猫の話にすりゃ よかったんだよ

(宗伯) 駄目ですよ お父様のお仕事の邪魔をしては

(お百) ふん!

こんな くたばりかけ同士の 与太話よたばなしが仕事だって?

笑わせんじゃないよ!

さあさあ あちらへ

♪~

(馬琴) ようやく宗伯も

松前家の扶持ふちをいただく 身分になったのだが…

(馬琴のため息)

(馬琴) どうにも 病が抜けん

(北斎) 医者の不養生ふようじょうかぁ

(馬琴) この家も

医者を開業するために 用意したのだが

開店休業が続いておる

八犬士のようには ゆかんなぁ

ほーら ハハッ ~♪

~♪

出来たよ

(馬琴) おっ…

おおっ

お前さんは ひと筆で

これほどの絵を描き上げるのに

最近 重信の絵が

遅れがちなんだ

(北斎) そういや 病気を患ってるとか言ってたな

ならば お前さん 代わりに描いてくれんか?

(北斎) 駄目!

それどころか…

当分 ここには 来れないかもしれねえ

なんで?

(北斎) 富士を とことんまで 描いてやろうと思い立ってね

そのためには

富士山の見える国を 全部 巡って歩かにゃならねえ

海の上からだって こう 見えるしね

海の上からか…

(北斎) なんか…

急に そわそわしてきた

日も暮れたんで 今日は これで

(北斎) ああ 日が暮れちゃう

(拍子木の音)

(若い衆の声援)

(若い衆) 投げろ! 投げろ!

(犬田小文吾いぬたこぶんご) 房六ふさろく まだまだ脇が甘いな

(山林房六) クソッ!

(小文吾) 今年の秋祭りも

犬田屋の船が 奉納旗ばたを掲げるぞ!

(犬田屋一同) おおー!

(使いの者) 若旦那!

か… 川で大将が お呼びです

♪~

~♪

大丈夫 敵ではござらん

(現八) ここは どこだ?

(犬田文五兵衛ぶんごべえ) 利根川沿いの網元 犬田屋の営む旅籠はたごでございます

現八殿

文五兵衛殿!

(信乃) お二人が ここへ運んでくださり

命拾いいたしました

本当に ありがとうございました

いえいえ 運んだのは この小文吾でして

私は 小舟で漂ってるお二人を 見つけただけです

私からも礼を申す

昔 侍だった頃

お父上には 散々 お世話になりました

それゆえ

ここで こうして 現八殿のお役に立てて

何よりでございます

(現八) それにしても

おぬしが私を 小舟へと引き上げたのは

何ゆえ?

私は おぬしを 捕まえようとしたのだぞ

(信乃) おぬし

このような珠を持っておらぬか

♪~

(信乃) やはりな

戦っている時に その頬のあざが見えた

これは…

どういうことだ

(小文吾) 俺も

俺の尻にも 牡丹ぼたんの形のあざがある

(近づく足音)

(障子が開く音) ~♪

(男) 公方の追っ手が迫っている!

(信乃たちの荒い息)

(信乃) さすがに もう大丈夫だろう

(現八) ふう…

(現八のため息)

(現八) で…

おぬしは一体 何者だ?

なぜ我われらを助ける?

(ゝ大ちゅだい法師) 拙者せっしゃ ♪~

♪~

南総里見家に仕える 金碗大輔と申す者

二十年前に出家して 今はゝ大ちゅだい法師と名乗っております

訳あって

皆様がお持ちの その珠を

二十年間 捜し求めてまいりました

二十年間…

(法師) これも

伏姫様のお導き

珠は全部で八つ ございます

(小文吾) 八つ…

珠は今

強く 引き合っております

そして 時を同じくして

とてつもなく巨大で 凶悪な邪気が

再び 動き始めました

(扇谷おうぎがやつ定正) 何だと! ~♪

~♪

芳流閣ほうりゅうかくに間者だと!

(在村) はっ

公方様は ご無事です

…が 間者は

取り逃がしました

♪~

おお 玉梓

(玉梓) 間者を取り逃がすとは

そなたを芳流閣に潜ませている意味が ないではないか 在村

ははっ…

定正様

これは かねてより ご建言けんげん 申し上げております―

里見家の手の者の 仕業ではござりませぬか?

(在村) 恐れながら 我が配下にあります里見義実は

名君として 名を馳せております 好人物ゆえに まさか

間者を送り込むような そのような大たいそれたことを…

ええい 黙れ!

どいつも こいつも 里見 里見と こざかしい

さては 在村

そのように里見義実を持ち上げ

この わしを愚弄ぐろうしておるのだな

(在村) 滅相もござ…

ああっ!

(侍たち) うわっ うわあ…

(河鯉権之佐かわごいごんのすけ) 騒ぐでない! 無礼討ちじゃ!

早はよう 里見を取り除かねば

災いになりましょうぞ

~♪

(義実) あれから二十年

伏姫のおかげで この里見家は安泰であった

ただ

あのあと 五ごの君きみが 大鷲に さらわれたことは

いまだに悔やまれてならない

(家臣たち) 姫! 姫! (遠ざかる赤子の泣き声)

(義実) 五の君を捜しに出た 世話役の世四郎と おとねも

いまだに戻らぬままじゃ

(信乃) やはり我らには 前世からの繋がりが あったようだな

(現八) ゝ大ちゅだい法師は別れ際に

“新たなる珠の力が導く方へ 向かう”と言われていた

(小文吾) 我らも手分けして 珠を持つ残りの犬士を探そう

(現八) おう

とにかく 私の知る もう一人の犬士に 早く引き合わせたい

先を急ごう

(信乃) 荘助…

荘助ではないか

はあっ ああっ… ♪~

(信乃) 荘助!

荘助

(信乃) 何があった?

浜路様…

浜路様が…

浜路が どうしたというのだ?

~♪

(宗伯) こちらでございます

(宗伯) ここへ お願いします (北斎) よう

あっ おはようございます 北斎先生

今日は 父を中村座に ご招待いただき ありがとうございます

なあに 尾上菊五郎おのえきくごろうの野郎に 女の幽霊の絵を描いてやったんだが

そのお礼に とかで 呼ばれちまったんだよ

鶴屋南北つるやなんぼく先生の新作で 今 大評判の「東海道四谷怪談」ですよね

なんでも 二日にわたる大芝居だとか

曲亭先生は きっと 南北のことが気になってるぜ

(馬琴) おい 待たせたな (北斎) ああ いやいや

(宗伯) さあ 北斎先生 お乗りくださりませ

(北斎) おいらは 要らねえよ 駕籠は嫌いなんだ

(宗伯) でも…

(北斎) 今まで どこ行くにも 駕籠なんか乗ったことはねえ

曲亭さんだけで いいよ

おい 行こう

(街のざわめき)

(中村座の呼び込みの声)

(呼び込み) 四谷怪談ですよ

(幕開きの音楽)

(木戸番) こちらでございやす

しまった! もう始まってらぁ

(馬琴) 今 幕が開いたばかりのようだな

(義太夫ぎたゆう) 顔に似合わぬ 様さま 参る

あれ? こりゃ 「忠臣蔵」じゃねえか

(木戸番) いえ これも 「四谷怪談」のお芝居なんでございやす

(判官はんがん) 師直もろなお 待て

(師直) ああ どけ どかぬか

袴はかまが破れる

やっぱり「忠臣蔵」じゃねえか

おいら この芝居 好きじゃねえんだよ

(馬琴) 私は好きだ

「忠臣蔵」は何度 見てもいい

へえー こんな誰でも知ってる芝居が 好きかい

百年前の 実際にあった事件を 題材にして

巧妙に絵空事えそらごとを織り込んで

何とも言えんほど うまく出来ている

神のごとき出し物だ

(三味線の音色)

(北斎) ああっ…

やっと「忠臣蔵」じゃねえ芝居に なったじゃねえか

半日も待たせやがって

(お岩) この蚊帳かやがないとな

あの子が夜 ひどい蚊に せめられて

(伊右衛門いえもん) 蚊が食くはば 親の役だ

追ってやれ

(伊右衛門) 離せ (お岩) 離しゃせず

(伊右衛門) 離せ (お岩) 離しゃせず

(伊右衛門) 離せ (お岩) 離しゃせず

(北斎) 何だ こりゃ

支離滅裂だな

(お岩) 今をも知れぬ この岩が

死なば正まさしく その娘

祝言さするは

これ眼前がんぜん

(伊右衛門) 岩

許してくれろ

あやまった

民谷たみやの血筋 伊藤喜兵衛きへえが

根葉ねはを枯らして この恨み

(北斎) ああ…

怖いね

(馬琴) 怖い

(北斎) 菊五郎の奴も 人が悪いや

あれじゃあ おいらの描いた 幽霊の絵なんて目じゃねえや

あっ…

菊五郎に祝儀やるの 忘れたわ

明日 渡せばよいではないか

おや 明日も来るつもりかい?

本当のところは見たくない 気色が悪い

しかし 二日がかりの 芝居なんだから

見なきゃ 義理が悪かろう

(三味線と太鼓の音色)

ああっ… 岩!

(重太郎じゅうたろう) 天あまと かけなば (喜多八きたはち) 河と答へん

(由良之助ゆらのすけ) 然しからば いづれも

(皆々) はぁ

何だよ また「忠臣蔵」かよ

えいえい おー

(幕切れの音楽)

(馬琴) 実に どうも

とんでもない芝居を考える者が あったものだ

まるっきり つじつまが合わん

まったくだ

桜の絵の真ん中に 墨汁を落としたような芝居だな

(木戸番) 菊五郎さんのところへ ご案内いたしやす

ああ そうだった また忘れるとこだった

行こう

(木戸番) あっ…

ここから奈落に下りることに なっておりやす

ついでだから 奈落ってぇやつを ご覧になりやすか?

(馬琴) それはぜひ 見せてもらおう

(木戸番) この“ぶん回し”の柱に 柱だけの人数が取りついて

それを回すと 上の舞台が回る 仕掛けになっておりやすんで

(馬琴) ほお…

(木戸番) あれ?

誰か おるようでござんすね

(馬琴) おおっ!

(鶴屋南北) お前さんか

(木戸番) 南北先生でござんしたか

(南北) ああ

せりの具合に 気になるところがあってね

お前さん どうした?

あっ 今日 滝沢馬琴先生と

葛飾北斎先生が 芝居を見に来てくださったんで

ちょいと 奈落をお見せしようと

ああっ 曲亭先生と北斎先生が…

それは それは

嬉しくもあり 恥ずかしくもある

作者の鶴屋南北にござります よう おいでくだされました

ええ… 今 ちょっと

下りられない形になっておりまして 失礼ではございますが…

ああ いやいやいや おいらたちゃ もう すぐ行くから

申し訳ございません

しかし とにかく…

あんたの芝居には驚いた

曲亭さんの怪談は面白いが あんたの怪談は怖い

でも 「忠臣蔵」に 怪談を挟み込むたぁ

曲亭さんは怒ってるぜ

恐れ入ります

(馬琴) いや

よく考えて お書きになっている

私は大変 感服いたした

(北斎) いやいや でも あんた…

“とんでもない芝居を書く奴が あったものだ”

“まったく つじつまが合わん” って さっき…

言った

よく考えているのに つじつまが合わんのか?

そのとおりだ

(南北) ハッハッハッハッ…

おおっ おお…

おおっ おお… ♪~

(南北) ああ… あっ!

私わたくしこそ

曲亭先生のお書きのものは いつも拝見して 感服しております

よく まあ 水も漏らさず

善因善果 悪因悪果

勧善懲悪かんぜんちょうあくを貫いていらっしゃる

まあ 世辞はいいです

それより

「忠臣蔵」という実の芝居に なぜ虚の怪談話を はめ込まれた?

(南北) ハハッ… あの…

嘘話の怪談だけだと

お上かみから きっと お叱りを受けそうで

それで 「忠臣蔵」の皮でくるむ…

ただの“逃げ手”とでも 申しましょうか

それにしては 手が込んでおりますな

巧みな工夫で「忠臣蔵」の中に

怪談仕立ての「義士外伝」を はめ込み しかも…

怪談そのものが 「忠臣蔵」の裏返しになっておる

さすがは曲亭先生ですな

裏返しに お気づきでしたか

そうやって 実の世界に 虚の世界を加えることで

ただの加くわえ算ではなく 掛け算のような

妙な味が出てきやせんかと 思いやしてね

あれは 加え算でも掛け算でもなく 引き算でしょ!

おいおい 曲亭さん

南北さん

あんたの本当の狙いは

「忠臣蔵」を愚弄ぐろうすることでは なかったのかね

へへへヘヘッ

あるいは そうかもしれませんなぁ

なぜ そのようなことをされる?

さっき あたしが 「四谷怪談」を嘘話と申したのは

あれは遠慮したからで

本当は 「四谷怪談」のほうが実で

「忠臣蔵」が嘘話 つまり虚だと

あたしは考えているので ございます

何じゃと!

(北斎) ハッ ハハハッ…

なるほど 言われてみりゃ そうかもしれねえなぁ

「忠臣蔵」なんて でたらめもいいとこだ

(馬琴) いい加減にせんか! (北斎) え?

(南北) 曲亭先生

もし あたしの怪談が 本当に怖いなら

そりゃ あれが実の世界を 描えがいたものだから でございましょう

あたしは この浮世は

善因悪果 悪因善果

良き者が憂うき目に遭い 悪あしき者が栄える

まるで つじつまの合わない 怪談だらけの世の中だと

思っておりますんで

つじつまの合わん浮世だからこそ

つじつまの合う世界が 必要とされておるのだ!

(南北) しかし それは無意味な

ただの つじつま合わせでは ございますまいか

お前さんの世界は

有害だ!

有害のほうが 無意味よりは まだ意味があると

あたくしは考えているんで ございます

(木戸番) あっ いけねえ

ろうそくが 燃え尽きやす

うん うん

こりゃ 回り舞台のように 果てしがないわい

つじつま論は もう おやめ おやめ!

おう 曲亭さん

もうそろそろ 帰ろう

お岩さんが出てくるぞ

妙な長問答ながもんどうして

失礼した

(南北) いえいえ

私のほうこそ とんだ ご無礼を

平ひらにお許しを…

お気を悪くされず

これからもどうぞ 南北めの芝居を ご贔屓ひいきに

~♪

(拍子木の音)

浜路が死んだ?

(荘助) 申し訳ありません 私がついていながら…

崖下を隈くまなく捜しましたが

浜路様のお姿は 既になく…

川に流されたか

(現八) いや

まだ亡くなったとは

限らんぞ

そうだ まだ諦めてはいかんぞ 信乃殿

(現八) それにしても

村雨を奪った その修験者しゅげんじゃとは

一体 何者だ?

(荘助) 村雨を奪い

“これで定正を討てる”と 申しておりました

そして

この珠を持っておりました

(水しぶきが飛ぶ音)

(定正) おおっ

これは見事じゃ

紛まごうことなき 名刀“村雨”

これを わしに献上とは 殊勝しゅしょうな心がけじゃ

(定正) 褒美を遣わす

ははっ ありがたき幸せ

♪~

今夜 中の院で宴うたげを開く

その席に参れ

ははっ

~♪

~♪ くっ…

♪~

(神楽鈴の音)

(定正) あの踊り子は “あさけの”と申したのう

さようでございます

わしは大いに気に入ったぞ

(定正) ああ よい よい

(襖ふすまが開く音)

~♪

~♪ (玉梓) 定正様 いけませぬ!

♪~

(犬坂いぬさか毛野けの) 我こそは 扇谷定正の罠にかかり 殺された―

相原胤度あいはらたねのりが一子いっし 犬坂毛野

父の敵かたき 定正の首 頂戴いたす

おのれ!

(毛野) うっ…

(息切れ)

伏姫め…

~♪

(道節) あっ これは…

♪~

♪~ (侍) おい!

(足音)

はあっ!

里見の手の者だ 捕らえよ

捕らえよ!

(道節) おぬしは?

話はあとだ 逃げるぞ!

(侍) はあっ!

おぬしも来い!

たぶん俺たちは

仲間だ

ふん!

(侍たち) 退ひけ! 退け!

信乃!

行くぞ

~♪

(鳴き声)

(北斎) 参った

ヘヘッ

おいらも ちったぁ 気にはしてたんだ

しばらく「八犬伝」が出てねえって 聞いててよ

でも

今の筋立てを聞くにつけ

心配ご無用って感じだな

(北斎の笑い声)

(馬琴) お前さんが 人のことを心配するとは

天変地異の前触れだな

(北斎) なあに ハハッ

「八犬伝」が中途半端なまま 筆折れってのも お前

夢見が悪いだけよ

(馬琴) 本が遅れているのは

版元が いろいろと 問題を起こしたので

出したくても 出せなかったのだ

(北斎) それなら いいがね

ほら

南北の一件があってからさ

あんた えらく おくたびれのように 見えたからさ

あの奈落での問答のあと

正直なところ かなり 筆に迷いが出た

南北の野郎に いいように言われたんだ

あんたのことだから

あれこれと気が落ち着かねえだろう とは思ったがね

ヘヘッ

でも こうして また書く気になったんだ

それで いいじゃねえか

ほれ… おいらの やるよ

(馬琴) おお…

♪~

んんっ…

うーん…

(北斎) 何でえ お前

腹痛はらいたなら さっさと厠かわやへ行け

(馬琴) こんな しょぼくれた爺じいさんから

どうやって これほどの躍動が

ひねり出せるのか

ハハッ…

もはや お前さんそのものが

怪談だ

(北斎) ふん (馬琴) ハハッ…

(北斎) その言葉 そっくりそのまんま あんたに お返しだぜ

曲亭さんよ

(馬琴) そうだな

まだまだ…

~♪

~♪ くたびれては おれんなぁ

(北斎) で…

どうなんだい? 宗伯のほうは

ちっとは よくなったのかね

(馬琴) いやぁ

最近は 家を出ることもなく ほとんど横になっている

それでも 「八犬伝」の校正などを きちんと やってくれてるから

助かっては いる

(障子が開く音)

(太郎) カナリア カナリア

(お路みち) これ! 太郎 おつぎ

(太郎) だって おばあちゃんが カナリア見ておいでって

(お百) こっちは炭団たどん作りで 忙しいんだよ!

じじい二人で 半日も おしゃべりしてちゃ

罰が当たるってんだよ!

(太郎) あっ フンした (北斎) ああ フンしたか

(お路) では お願いします

なかなか お前 器量よしじゃねえか

まあ 器量はともかく

どうにも…

愛想が悪い

しかし まあ

よく こんな家うちに嫁に来たもんだ

(北斎) ヘヘッ (馬琴) 何だと?

ほれ

ほれ ほれ

(おつぎ) 行くよ

(お百) なんで また戻ってきたんだい!

(お百) ああ 触るんじゃないよ! (北斎) ハハハッ…

あの婆ばあさんに 炭団ぶっつけられねえうちに

おいらも退散するかな

(馬琴) おい! (北斎) ん?

今日は一枚だけか

こう見えて おいらも忙しいんでね ヘヘッ

「冨嶽ふがく三十六景」も まとまったことだし

今度は「冨嶽百景」ってのを 出すつもりだ

“百景”か

(北斎) まだまだ 若造の広重ひろしげなんぞに 負けちゃいられねえや

はい

おっ?

ヘヘッ

あんたも せいぜい長生きして

“百犬伝”でも書きな

ハハッ ハハハハハッ…

(玄関の戸を閉める音)

お百さん 精が出るね

(舌打ち)

あたしだって 好きで 炭団 丸めてんじゃないんだよ

(北斎) ええ?

あんたからも言っとくれよ

草双紙くさぞうしやら人情本にんじょうぼんやら

もっと世間様に合わせりゃ

楽に お金が入んのに

一人で いばりくさって

じゃあな また来るよ ヘヘッ

何でえ!

みんなして

あたしを 除のけ者にしやがって

どうせ あたしゃ無学ですよ!

何かと言や 人に知られた 滝沢馬琴の妻らしく しろって

説教ばっかり しやがって

あたしゃ 下駄屋の女房やってたほうが

よっぽど楽に暮らせたんだよ!

(宗伯) いい加減にしてください!

父上は立派な方です

正直言って あなたには もったいないお方だ

それなのに

その不足がましい悪口は 何事ですか!

お前まで…

お前まで 母親に説教するのかい!

四十しじゅう前にもなって 何もしねえで

うじ虫みたいに ただ

うじゃうじゃ うじゃうじゃ 寝てばっかりいる役立たずが!

そうだ 私は うじ虫だ

しかし うじ虫のような息子を 産んだのは誰だ

あの優れた頭と丈夫な体を 持っておられる父上では 断じてない!

よさないか! 宗伯!

(宗伯) 申し訳ご…

(せき込み) ♪~

♪~

(せき込み)

お前…

子供の頃は まあ

普通の子供だったじゃないか

それを この父親が いじり倒して

そんで 変なんなっちゃったんだよ!

お前を廃人同様にしたのも この父親

お前を しつけ殺すのも この父親だ!

なんと恐ろしいことを…

私が

宗伯を しつけ殺す…

なんと恐ろしいことを…

~♪

(拍子木の音)

(猫の鳴き声)

(女将おかみ) ここは道場なんですが

暮らし向きも よくないので 宿も始めたんですよ

(法師) ああ…

(ため息)

この雨の中

途方に暮れていたところ 助かりました

(女将) お役に立てて何よりです

ごゆっくり

(風が吹き込む音)

♪~

(赤岩一角いっかく) ほう

なかなかのものだな

(雷鳴)

お前さん

遊んでないで さっさと殺やっちまいな

まあ そう焦るな

(赤岩) こいつは楽しめそうだ

さあ いくぞ!

(猫の鳴き声)

うおおっ!

(犬村大角いぬむらだいかく) 父上 おやめくだされ!

(赤岩) 大角

父の邪魔をするか!

うっ…

(大角) 旅人を襲い 金品を奪うなど

なぜ そのような愚かなことを 繰り返すのですか

(船虫) 大角

恩義ある父上に逆らうのかえ?

(大角) うるさい お前は黙ってろ!

お前が来てから 父は おかしくなってしまった

(赤岩) 母上に なんという口を利くのだ

息子だとて容赦は せぬぞ!

くっ… 父上!

ええい

ううっ…

ううっ… あっ

ううっ…

父上 お目覚めくだされ!

ううっ…

くっ…

ううっ うっ

大角 それをしまえ!

うああっ

しまえと言っておるのだ!

(法師) 御免!

(法師) ふんっ! 怨霊よ

立ち去れ!

(うめき声)

(大角) 父上!

(赤岩) 大角…

愚かな父を

許せ

(大角の泣き声)

おのれ

すべて お前のせいだ!

(悲鳴)

(悲鳴) ~♪

はあっ…

(荒い息)

♪~

♪~ (義実) おお 大輔 よう戻った

(義実) おお 大輔 よう戻った

(法師) 殿

お久しゅうございます

この者たちが…

伏姫様ゆかりの 犬士たちにございます

犬塚信乃にございます

“孝”の珠を持っております

犬川荘助にございます

“義”の珠を持っております

犬飼現八にございます

“信”の珠を持っております

犬田小文吾にございます

“悌てい”の珠を持っております

犬村大角にございます

“礼”の珠を持っております

犬坂毛野にございます

“智”の珠を持っております

犬山道節にございます

“忠”の珠を持っております

皆…

よくぞ 滝田の城に参ってくれた

まさに あの時

天に飛び去った伏姫の珠が

また ここに集まった

殿…

玉梓に操られし定正は 今まさに里見を滅ぼさんと

各地の諸大名に下知げじを下し

伊皿子いさらご城に 大軍を集結させております

おのれ 玉梓め

いつまで里見を 苦しめ続けるつもりだ

殿 かくなる上は この七人の犬士たちを中心に

戦いくさの準備を 急がねばなりませぬ

~♪

~♪ うむ

(男) あいや~ しばらく!

やあっ!

ふんっ!

突然のご無礼 お許し願いまする

拙者 犬江親兵衛いぬえしんべえと申します

♪~

これは…

仁じん・義ぎ・礼れい・智ち・忠ちゅう・信しん・孝こう・悌てい

ついに

八つの珠が揃そろいましたぞ 伏姫様

捨て子だった拙者を お育てくださったのは

かつて里見家に仕えし

この世四郎 おとねにございます

おおっ… 世四郎 おとね!

殿…

お久しゅうございます

お久しゅうございます

不思議な縁えにしでございます

大鷲に さらわれた五の君を捜し

彷徨さまよう道すがら

森の中に

置き去りにされていた親兵衛を

見つけた次第にございます

親兵衛が持っていた珠の中には

“仁”という文字が 浮かび上がっていました

これは間違いなく 伏姫様ゆかりの珠に相違ないと

今日こんにちまで大切に お育て申し上げました

うむ

世四郎 おとね でかしたぞ!

(世四郎) 恐れながら

もう お一方 お連れいたしております

(信乃) 浜路 (荘助) 浜路様!

信乃様!

浜路!

無事だったのか?

はい 親兵衛殿に 助けていただきました

そうか

親兵衛殿に

(義実) “浜路”?

(世四郎) 殿!

(義実) 笹ささりんどう

これは里見家の紋ではないか

(おとね) この守り袋は

浜路様が捨て子として 拾われた時に くるまれていた―

おくるみで作ったものだそうです

(世四郎) おとねが

背中のあざも見定めました

ここに おわす浜路様は

大鷲に さらわれた五の君

浜路姫様でございます

浜路にございます

浜路姫…

本当に 浜路姫なのじゃな

お父上

~♪

(渡辺崋山わたなべかざん) ついに

八犬士が揃いましたな

どれだけの読者が

その日を待ち望んでいることか

どうも 埒らちもない嘘話を 長々と聞いていただき

かたじけない

宗伯を見舞っていただいたうえに 思いがけず

お引き止めしてしまいました

(崋山) いやいや

「八犬伝」を愛読させて いただいている身としては

この上ない幸せ

ありがたく存じております

ところで 渡辺殿

その…

八犬士 揃い踏みの場面を ひとつ

今 ここで 絵にしてくださらんだろうか

えっ 今 ここで… ですか

えっ 今 ここで… ですか ♪~

♪~

ああ…

いや

いや これは大変

失礼いたしました

今や 田原藩若家老わかがろう かつ

画家でもいらっしゃる 渡辺崋山先生に

即興で絵を描いてくれ など

いやいや 私が どうかしておりました

(崋山) ああ… 滅相もございません

大変 光栄に存じますが 何分なにぶん

私は それほど器用ではなく…

(馬琴) いやいや 本当に

年寄りの戯ざれ言ごとと お忘れくだされ

(崋山) 申し訳ございません

(馬琴) いや いや いや

実は いつもは北斎老ろうに

腹案ふくあんを聞いてもらって

その場で二、三枚 絵にしてもらっていたんです

それが どれだけ 私の創作の励みになっていたことか

ところが ここのところ

とんと やって来ない

そうでしたか 北斎先生が

渡辺殿

私は

宗伯のことを思うと

ああ… 恐ろしゅうてな

じっと ここに座って

考えておるに耐えられん

(馬琴のため息)

(馬琴) 口幅くちはばったいことではありますが

私と宗伯は まず

悪を成したことがない

それなのに…

こういう運命を見る

そう考えるにつけ

“正しき者が勝つ”という主題で 書いている―

「八犬伝」など

いよいよもって 虚だと思えるのです

(崋山) 先生

私は

若かりし頃から 「八犬伝」を愛読しております

侍として 辛つらい日々があっても

どれほど 「八犬伝」の正義に 勇気づけられたことか

曲亭先生に対して

おこがましい言葉で 恐れ入りますが

私は

正義は虚であっても

それを貫いて 一生を終えれば

その人の人生は実となる

決して 虚とはならんと 信じております

~♪

(お路) 渡辺様

お駕籠を お呼びします

ああ いや 駕籠は無用 二本の足がござれば

(お路) でも…

お路さん

宗伯殿は 私にとって かけがえのない友人

どうか よろしくお願いいたします

お路さんは お気づきか?

曲亭先生の右の目ですが…

時々 右目が霞かすむと…

やはり そうでしたか

先生のことも

よろしくお願いいたします

(お路) 失礼します

もう お休みになってください

(宗伯) いや

明日の朝までに

これだけは なんとしても

でも…

父上の この「八犬伝」は

なんとしても 完結させねばならないのだ

(苦しそうな呼吸)

♪~

(近づく足音)

お父様を呼んでいます

(せき込み)

(宗伯) ああ…

お母さん

癇癪かんしゃくを起こして

随分と ひどいことを 言ってきました

どうか お許しください

(すすり泣き)

何だね 鎮五郎

そんなの

病気が言わせる駄々だだじゃないか

謝らなくちゃ いけないのは

母さんのほうだよ

(足音)

(馬琴) 鎮五郎

(宗伯) お預かりした校正を

先ほど終えました

そんなものは

体が楽になってからで よいのだ

(宗伯) 父上…

これまでの ご恩に

子として

何のお報いもせず 死んでゆきますが

どうぞ お許しを…

(馬琴) 何を言うか

要らざることを口にするな

(苦しそうな呼吸)

み… みず 水を…

(馬琴) おお…

おう

宗伯

(宗伯) ああ…

ああ…

(馬琴) 宗伯…

宗伯…

(お百) 鎮五郎 (馬琴) 宗伯

鎮五郎!

鎮五郎! (お百の号泣)

(3人の泣き声)

(3人の泣き声) ~♪

~♪

(近づく足音)

(馬琴) ああ…

(崋山) 宗伯殿は?

(馬琴) 昨日の朝 亡くなりました

骸むくろは棺桶に入れて

まだ納戸なんどに置いてござる

(雨の音)

(崋山) いずれ 色を差し

絵にして お持ちいたします

今日は急ぎますので

これにて 御免

♪~

なぜだ

なぜなんだ

なんで 宗伯が…

私でよいではないか

私が長生きしている罰なのか

なんで代わってやれないんだ

(泣き声)

(泣き声)

~♪

(太鼓の音)

(定正) 平賀隊は白峰しらみね街道

熊代くましろ隊は大兼おおがね街道

塚原隊は後方 三馬山さんばやまを下れ

そして

浅沼隊は

海からじゃ

♪~ 海から先駆け 一気に叩たたけ

海から先駆け 一気に叩たたけ

里見の勢力を分散させれば

八犬士も自おのずと 散ちり散ぢりとなる

八つ 揃わなければ 伏姫の珠など 恐れるに足りぬ

~♪

~♪ いよいよ 開戦じゃ

頼んだぞ 八犬士

♪~

(文五兵衛) 水の上なら 誰にも負けねえ

今こそ

犬田屋の底力を 見せてやるんじゃ!

(若い衆) おー!

んっ!

(衝突音)

しばらく 他の船は近づけない

目指すは水軍大将の首ひとつ!

(里見軍の兵士たち) おー!

(信乃) んっ…

んんっ…

本当に この穴で間違いないのか

この城のことは隅々まで調べた あと少しだ

毛野は するする進むが

わしの体では これは地獄だ

それを言うなら

俺が 一番きつい

犬士とは呼ばれているが…

あつ… 熱あつっ!

俺たちは人だぞ これは狸たぬきの穴だ!

さあ さあ 皆さん

もう少しで城内ですよ

法師様たちの時間稼ぎにも 限界があります

ああ

とにかく急ごう

(門番たち) うっ… ぐわっ…

(信乃) よし

四つの門が開かなければ 城内の敵の数は わずか

(管領かんれい軍の侍) 敵だ!

(信乃) 目指すは 関東管領かんれい 扇谷定正の首

そして怨霊 玉梓

(侍たち) やああー!

(信乃) いざ参らん!

(一同) おう!

(一同) やああー!

何だと! 八犬士だと?

(権之佐) どうやって城内に

(玉梓) ええい 謀りおったな!

(定正) たかだか 八人ではないか ここへ寄せつけるでないぞ

殿 万が一に備えて最上階へ

珠を八つ

揃わせてはならない

(毛野) 定正は さっきまで ここに居たぞ!

(道節) 上だ! 上に逃げたぞ

(定正) ええい 戦況はどうなっている!

(権之佐) はっ!

(伝令) 敵方 三階を突破して 四階に上がってきております

八人ごときに 何をやっておるのじゃ!

毛野と道節の狙いは

定正殿でしたね?

(侍) はあっ!

うおおっ!

(毛野) はああっ!

(斬られる音)

んんっ… だあっ!

(現八) うわっ…

うおっ!

(斬られる音)

(荒い息)

ふんっ!

(殴る音)

(荒い息)

(信乃) んんんっ…

(侍たち) うおおー!

(大角) ここは俺たちに任せて

定正を討て!

うおおー!

小文吾!

(斬られる音)

早く行け! 信乃!

(信乃) んっ! んんっ!

(玉梓の笑い声)

(定正) あっ… ああっ…

何をする… 玉梓…

(床が抜ける音)

(定正) あああーっ! (落下音)

(せき込み)

さあ さあ 定正が逃げるぞえ

二人は定正を討て!

玉梓は俺たちに任せろ

かたじけない!

御免!

(玉梓) 残りは たった三人かえ

ハッ ハハハハッ…

怨霊 玉梓!

伏姫様に成り代わり

我ら犬士が 成敗してくれる!

我が怨念の深淵しんえんを

とくと覗のぞくがよい!

(玉梓の咆哮ほうこう)

~♪

やっとだね

(馬琴) うん

やっとだ

(北斎) あんた いくつになった?

私は今年 七十三しちじゅうさんだ

してみると お前さんは

八十になるはず

(北斎) フフッ

いやはや 化け物だな

老いて なお 頂いただきを求めるのは

おいらと あんたくらいなもんだ

まあ かき続けるより他に

これといって 能もないがね

あらよっと

(風の音)

(北斎) しかし また 辺ぴな所へ 越してきたもんだな

さっき お百さんを見舞ったら

散々 愚痴を聞かされたよ

(近づく足音)

(障子を開ける音)

あら 北斎さん

生きてたのかい

なんだ

元気そうじゃねえか

あたしゃ ご覧のとおり

もう駄目だよ

なあに

(お百) 何の因果で

こんな江戸の外はずれで 死ななきゃなんないのさ

何のための一生だったか

分かりゃしないよ

分かりゃしないよ ♪~

♪~

こんな あばら家やだが

ここは鉄砲同心株の付いている お屋敷でね

買うだけで お召し抱えいただける

ただ…

大事にしていた本も ほとんど売ってしまったがね

(北斎) まあ 広くていいやね

(馬琴) うん

(北斎) これで太郎も 立派な お武家の鉄砲同心様か

孫には 何か残してやりたくてね

(北斎) ああ… 出来た

ほらよ

ほら

八犬士が 揃って出陣するところだ

おお…

八犬士が…

~♪

ここには 八犬士は描いては おらん

右目が見えてねえってことは 聞いてたがね

あんた

もう片方も見えてないね?

フッ…

(鍬くわを振るう音) ♪~

~♪

はあ…

(ため息)

(丁子屋平兵衛ちょうじやへいべえ) 先生

もう一度 お考え直し くださいませんか

文渓堂ぶんけいどう

悪いが

何人 試みても 結果は同じだ

何とか 先生のおっしゃるとおり 書ける者を探してまいりますので

いや

私の この気性を心得て

共に過ごすのは

そもそも 他人では無理だ

(平兵衛) うーん…

こんな時 宗伯さんが 居てくださいましたら

それを言うてくれるな

これは失礼いたしました ついつい…

(ため息)

まあ とにかく 先生

今日のところは お暇いとまいたしますが くれぐれも

お諦めなきよう お願いいたします

それでは…

やはり

これまでか…

(崋山) 私は

正義は虚であっても

それを貫いて 一生を終えれば

その人の人生は実となる

決して 虚とはならんと 信じております

所詮しょせん 無意味な つじつま合わせ

どこまで行っても 虚は実に飲み込まれ

つじつまは合わないので ございますよ

(荒い息)

ああっ!

はあっ…

ああっ

ああ…

(お路) お父様 少し よろしいでしょうか

ああ… よい

どうした?

お父様に お願いがございます

何だ? 改まって

(お路) 「八犬伝」を

私に書かせて いただけないでしょうか

お前が「八犬伝」を…

書く?

お父様が語ったことを 私が文字にいたします

(馬琴) しかし お前は 「八犬伝」を読んでは おるまい

いえ 読みました

読んだ?

いつ?

去年の秋からです

お父様の両の目が お悪くなってから

いつか お役に立てる時が 来るのではないかと思いまして

それで

読めたか?

(お路) 漢字や言葉が難しく…

それでも皆 振り仮名が付いていたので

何とか読みました

お前は

漢字が書けるのか?

いいえ

存じているのは “いろは”ばかりです

ああ…

“いろは”では

「八犬伝」は書けん

一字一字 お教えくだされば

お路にも 何とか できるのではないかと

お路の気持ちは嬉しいが

これは

言うほど たやすくない

♪~

(お路) お父様が

「八犬伝」を書けないのに

毎日そうして 机の前に 座ってらっしゃるのを見ると

辛つろうございます

それに

“「八犬伝」を頼む”と お路は しかと申しつかっております

誰にだ?

宗伯さんにです

~♪

“邪大茂林かのおおもりの澳邊おきべにて”

おおもり?

“大茂林”が分からんか

♪~

♪~ 申し訳ございません

大小の“大”と

くさかんむりに“戊つちのえ”と

“林”の三文字から成る

私の指先を見よ

はい

“身は冷え。”

“手脚てあし 疲労果つかれはてて”

(お路) 手脚…

書いたか?

はい

“冷ひえ”は どう書いた?

(お路) にんべんに… (馬琴) にんべんではない!

にすいだ

(馬琴) 指先を見よ (お路) はい

(馬琴) これで…

(馬琴) 分かるな? (お路) はい

“皆みな 立たちよりて”

“又またよく見るに”

(お路) 申し訳ございません もう一度 お願いします

“皆 立ちよりて 又よく見るに”

“みな”とは どう書くのでしょうか?

(馬琴) “皆”とは

“皆”とは こうだ

見えたか?

はい ありがとうございます

“喚よばはりつ 胸を拊なでて”

“胸”と“拊なでて”は教えたな?

はい

“喚よび”という漢字は こうだ

(物音) ~♪

~♪

(お路) お母様!

お母様 どうなさいました?

(馬琴) お百

お百

ここまで這はってきたのか

なんで そんなことを!

畜生ちきしょう…

(馬琴) お百! (お路) お母様!

おい お百!

♪~

♪~ (お路) お母様

(馬琴) お百

お百…

お前は

私の女房になって

幸せでは なかったかもしれんな

(馬琴のため息)

(馬琴) 許せ お百

私には まだ

どうしても

やり切らねばならぬことが あるのだ

“安房の里見を攻伐給せめうちたもふ”

申し訳ございません もう一度 お願いします

申し訳ございません もう一度 お願いします ~♪

(馬琴) “安房の里見を攻伐せめうち”…

(お路) 申し訳ございません

“せめうち”とは どう書くのでしょうか?

(馬琴のため息)

お路

もう いい

もう やめだ

これも天命だ

いいえ いいえ! お父様 申し訳ございません!

お路の無学を叱ってください

お路の馬鹿を嘆いてください

でも 諦めないでください

もう少し 辛抱してください

(ため息)

(玉梓の咆哮)

♪~

(信乃) ふんっ!

(玉梓の苦しむ声)

名刀“村雨”の 一撃を食らえ!

~♪

~♪ うっ うう…

うっ うう…

うう…

ううっ…

(信乃) 荘助! 親兵衛!

(信乃) 荘助! 親兵衛! ♪~

♪~

(荘助) 信乃様

玉梓を

逃がしてはなりませぬ

早く!

(信乃の荒い息)

お前一人の力では この玉梓は倒せぬわ!

私は一人には あらず!

あああっ…

玉梓!

我ら八犬士の絆きずなを

受け止めるがいい!

んっ!

(苦しむ声)

怨霊退散!

(うめき声)

~♪

(伝令) 八犬士たち 見事 定正を討ち取り

怨霊 玉梓を退けました!

うむ!

うむ! ♪~

♪~

よくやった! 八犬士!

~♪

(すすり泣き)

♪~

(信乃) 伏姫様

信乃

荘助

親兵衛

毛野

道節

よくぞ

玉梓の怨霊を退けました

心から感謝いたします

これからも

八人で力を合わせて

すばらしき世を 築いてゆくのですよ

~♪

(馬琴) “伊皿子いさらご近き這浦このうらに。”

“艦ふねの寄りしを 歓よろこべども”

(お路) 寄りしを…

(馬琴) “身は 背手うしろでに結紐しばられて”

あれは

絵になる

フッ…

♪~

~♪

(神々しい穏やかな音楽) ♪~

~♪

♪~

~♪

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