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♬~
(北斎) この世は 円と線で出来ている。
ほれ こうして 円が重なってるだろう。
尾っぽも丸~く 尻に巻きついている。
これも 円だ。
でもって 頭に三角を2つ載っけると…。
♬~
おっ? おお? お前 まさか…。
ええ?
(お栄)
己の手のひらの中に 初めて置かれた筆が➡
うれしくて たまらなかった>
(小兎)そ~れ 見た事か。
3年もたたずに夫婦別れなんて。 ええ?
私はね ず~っと思ってたんだよ。 いつか 亭主に➡
愛想尽かされるんじゃ ないかってねえ…。
勝手気ままをするからだよ。
不器量なくせに 化粧もしない 髪はボウボウ➡
もう 身を構いもしないでさあ。
大体 世間にゃ➡
そりの合わない組み合わせなんか ごまんとあるんだよ。
不仲じゃない。 不熟なんだよ 近頃の夫婦は。 ええ?
(弥助)また始やりやしたね。
おい。 へえ。 こんな足首で歩けるかい?
あっ… へえ 確かに。
ま~た ざる耳だよ。
そんなとこだきゃ お父っつぁんに似ちまって。➡
それじゃなくても 女だてらに絵筆しか持たない➡
変わり者だとか 平気で枕絵を描いてるだとか➡
知れ渡っちまったもんだから いずれ様もが尻込みしちまってさ。
ようやく決まった縁だってえのに。
言い返さなくていいんですかい? 言い返して どうする?
口答えなんかしようもんなら かえって 長引かあ。
大体 絵なんか描いて 何になろうってんだい? ええ?
(ため息) なあ! お前さんも悪いんだよ!
小さい頃から 甘い顔して。
「お栄は 自分から絵筆を持ちやがった。➡
こいつは 見どころがある」なんて 目尻下げるもんだからさあ もう。
おっ 何しやがんでい いきなり。
見てごらんよ。 すっかり本意気になっちまって。
この子はね 弟子じゃないんだよ。 娘なんだよ。
こと 絵についちゃ➡
どんなに偉いお殿様の言う事も 聞かねえ北斎先生でも➡
女房には 何にも言えねえってんですから。
(笑い声)
男は所詮 女の出がらしだぁな。 逆らうまいってね。
お~い お栄!
口を動かしてる暇あったら とっとと手ぇ動かせ。
はい。 弟子じゃないって 言ってる先から…。
…ったく 子が子なら 親も親だよ。 ええ?
何だい こりゃ。 よせよ。
何でもかんでも 勝手に触るんじゃねえ!
何だよ。 何だい…。
葛飾北斎の仕事場だ。➡
なかなかの散らかりようだろう? しかたぁねえ。➡
おやじ殿 つまり ここの主が 掃除するのを嫌がるんだ。➡
ちなみに そこのクモの巣も おやじ殿のお気に入りだ。➡
役者絵 枕絵 読み本の挿絵…。➡
何でもやるのが おやじ殿の流儀だ。➡
おやじ殿が顔姿を描き 細かいところは 弟子の仕事。➡
そうやって 師匠の画風や筆遣いを 目に刻み込む。➡
おやじ殿が どんなに名が売れようと➡
決して 鍛錬を怠らないもんだから➡
私らは 足を引っ張らないよう ついていくだけで➡
てんてこまいだ>
(鐘の音)
半鐘だ。
ああ 火事ですね!
私が いっち速えよ!
瀬戸物町じゃねえか?
いや そこまで南じゃあないね。
代わっとくれ。 ああ? 何だ。
♬~
いや~… なんてえ色だ。
(善次郎)ハハハ 世話ねえな。
善さん。
どうせ どうやったら あんな色 出せんのか 考えてたんだろう。
何してんだい こんなとこで。
そりゃ お前と同じ 酔狂さ。 酔狂? バカ言え。
みんな 大変な思いしてるってのに。
ああ。 こりゃひでえ。
風の噂で聞いたぜ。 誰かさんが➡
旦那が描いた絵を 鼻で笑って 出戻ったって。
はあ~ そんな噂が出回ってんのか。
まあ 違えねえけど。 ハハハ! 違えねえのかい!
ハハハ お栄らしいや。
(笑い声)
前に うちに出入りしていた 浮世絵師の一人だ。➡
画号は 溪斎英泉>
そっちは近頃 景気いいらしいね。
あの馬琴先生に気に入られたって。
昔は 私とおんなじ からっ下手だったくせに。
ああ? からっ下手?
お前の色気のねえ枕絵と 一緒にするなよ。
なあ 善さん。
お前は 何で絵なんか描いてる?
何でえ? いきなり。
名か? それとも 銭か?
いい女 抱くためだ。
ハハハ ほかに何がある?
何だい 人が真面目に話してんのに。
ハハハハ! ハハハハハ。
オランダ国から 絵の注文? (弥助)へえ。
それが そのシーボルトって先生は 北斎先生の絵が好きで➡
世界一の絵師だって 言ってるってんで。 ふ~ん。
…で 江戸の絵なら 何でもいいってか?
それが 一つ お望みがあるそうで。
蘭画です。 蘭画。 へえ。
蘭画ってえと? 西洋の絵だよ。 えっ?
北斎に 西洋の画法に 挑んでほしいんだとよ。
何でえ。
俺の腕を試そうって寸法か。
面白えじゃねえか。
そのオランダからの注文を 15枚の絵とし➡
そのうち 12枚の下絵を あっという間に仕上げ➡
残りは 一番弟子の弥助さんと私が 描く事になった。➡
私の画題は 「遊女」だ>
蘭画ってえのは 見えたものを そのまま描き写してやがる。
あと この色。 ひとところでも 色が濃く薄く…。
(カナリアの鳴き声)
いいねえ あんたは。
いつ見ても いい色だ。
へえ~ こいつが 噂のカナリア鳥か。
おお~ 善さん! 久しぶりじゃねえか!
おうよ。 みんな 壁がパンパン膨れ上がりそうなほど➡
熱入れて取っ組んでるんで 入っていいか迷ったぜ。
ヘヘヘヘヘ。 驚いたろう それ。
馬琴先生が おやじ殿にってな。
ああ。 何せ 馬琴先生と北斎おやじといやあ…。
[ 回想 ] こいつに 草履をくわえさせろだと?
(馬琴)そうだ! 絵師は 黙って言う事を聞け!
誰が そんな汚え図 見て 喜ぶってんだい!
そうも言うんなら てめえが 口にくわえてみやがれ!
それ以来 けんか別れで 20年 一度も組んでねえ。
今でも 顔合わす度に ほえ合う仲だって聞いたのによ。
♬~
おやじ殿の絵を見りゃ なるほどと思わぁ。
けど いざ 蘭画と考えた途端に 手出しができなくなるんだ。
ざまあねえよ。 遊女なんぞ 描き慣れてるはずなのに。
そうか?
俺には お前も パンパン膨れて見えるぜ。
それ また 自分で色作ってんだろ。
ああ。 私の作る色は おやじ殿のお気に入りなのさ。
料理は とんと できなくても➡
石や根っこを 干したり煮たりするのは➡
苦にならないからね。
本当か?
本当は 己で思うがまま 色を差配してみたいって➡
思ってんじゃねえのか?
お前は 昔っから色に目がねえ。
どうやったら 蘭画みてえな 見た事もねえ色みが➡
自分に出せんのか 試したくて 描きたくて しかたがねえんだ。
違うよ。 私は ただ おやじ殿の役に立とうと…。
俺相手に しらは切れねえぜ。
お前は 前から 描きたい絵を ず~っと胸の中で温めてる。
その ちっこい胸によ。 「ちっこい」は余計だ。
フフッ やけるねえ…。
お前は 目指すべきものを持ってる。
何 訳の分かんねえ事 言ってんだい。
ちょっと売れたからって 上から もの言いやがって。
ハハハハ。 俺が 今 何て いわれてるか 知ってるか?
「溪斎英泉は 北斎の再来か」だぜ。
豪儀じゃねえか。
ああ おやじ殿も よく言い暮らしてたな。
「技を磨きてえなら まねて まねて 体の中にたたき込め。➡
技もねえのに 画風がどうのと よそ見をすりゃあ➡
先は行き止まりだ」ってね。
けどよ… フフフ 再来じゃあな。
私は まだ そんなとこ 行き着いてもいない。
どうしたら もっと おやじ殿が 思うように描けるのか➡
おやじ殿の絵の役に立てんのか…。
よし。
いいとこ 連れてってやる。
まだ 仕事だ。 ああ?
たまには 仕事なんか うっちゃるもんだ。
ほら。 えっ ちょ…。
(弥助)どうした? ちょっと そこまで。
♬「とんび からすに ならるるならば」
♬「はあ 飛んで行きたや 主の側」
ハハハ。 ♬「つるつるつん」 ♬「はあ つるつるつん」
♬「はあ」 ♬「ちりちりちん」
♬~
♬「ちりちりちん」 ♬「はっ」
♬「つるつるつん」 ♬「よっ」
♬「とんび からすに ならるるならば」
♬「飛んで行きたや」
よっ 善さん。 よう。 調子は どうでえ?
見てのとおりですよ。
二本差しのお侍だったと➡
誰かに聞いた事がある。➡
それ以上は 何も知らない>
♬~
(お滝)吉原一の合奏です。
すげえ…。
♬~
俺の妹だよ。 3人とも。
俺が養いきれずに 芸者の置き屋に預けた。
それを恨みもせず こうして 芸を身につけてくれた。
♬~
はっ。
♬~
はっ。
♬~
おい お栄も来い。 どうぞ どうぞ。
ああ… いいよ 私は。
ほらほらほら!
♬~
この世の どこもかしこもが 色の濃い淡いで出来ている>
♬~
光の当たり方で色が違う。➡
一色じゃない。➡
光が強く当たっているところは 色が薄く➡
暗い場では 色は沈む>
そうか。 光だ…。
光が…➡
光と影が 色や形を作ってるんだ。
♬~
辛うじて 遠い近いはある。 影もついてる。
けれど まるで コクがねえや。
あの~… 描き直させてやもらえやせんか。
このままじゃ おやじ殿の名折れになりやす。
明日 納めるぞ。
ちょっと待っとくれよ。 こんな代物 納められねえよ。
なら お前ら いつ 満足する!?
あと3日か? それとも 30日か?
3年かければ きっと できると 言い切れんのかい!
三流の玄人でも 一流の素人に勝る。
なぜだか分かるか?
こうして 恥を忍ぶからだ!
己が満足できねえもんでも➡
歯ぁ食いしばって 世間の目にさらす!
悔いてる暇あったら とっとと次の仕事にかかれ。
お栄。
お前が持ってけ。
へえ。
♬~
お待ちしておりました。
さあ こちらでございます。 どうぞ。
いやあ よか絵ば ありがとうございました。
どうぞ。
残りの金は 明日お届けすると 言うとらしたです。
へえ…。
あっ… 本当にいいんですか? あの絵で。
ああ もちろんですたい。 さすがは北斎先生だって➡
シーボルト先生も 死ぬほど喜んでおられました。
そうですか…。
あなた様は ご覧になったんですか?
ええ 拝見しましたばい。 いかがでした?
う~ん… あっ 遊女の絵は気になったです。
気になった?
あいは きっと 北斎先生の筆じゃなかと。
息ばしとらん へったくそな絵です。
何か描こうとして➡
思いに 手のついてっとらんと でしょうな。 うん。
へったくそだと…?
思いに 手がついてっていないなんてな!
そんな事は 己で一番分かってんだよ!
こんちくしょう…。
お~い 何してんだ? お栄。
己の腕に腹が立つのさ。
わ~っ!
はあ…。
何で 私は 絵なんてもんに 魅入られちまったんだろうね。
苦しいばっかりだ。
♬~
俺だって お前 満足なんざしてねえよ。
ああ もっとうまく もっと もっとって➡
いつも願うのに➡
思う先から 描きてえもんが逃げていきやがる。
おやじ殿でもか?
あったぼうよ。
お前なんかに満足されて たまるかい。
よ~し。
この橋を渡ったら 忘れるぞ。
忘れて 俺たちは また 性根入れて あがいて あがいて➡
ヘヘ あがきまくるんだ! あっ!
あがいて あがいて…>
♬~
あっ。
ああ。 食わねえかい。
≪(小兎)なあ 善さん 来てくれないかね うちに。
ああ? お栄の婿に 入ってもらうって事だよ。➡
そしたら お前さんだって 安心して隠居できるし…。
はっ 俺は隠居なんかしねえよ。 婿養子なんか要るかい。
ちょいと おっ母さん。 何 勝手に話してんだい。
だってさあ お前…。➡
あら? 善さん。 今の聞かれちまったかね?
ハハハハ。 いつもいつも余計な事を…。
おやじ殿?
大丈夫か? おおお… お前さん!
おやじ殿? おやじ殿!?
(弥助)おやじ殿!? おやじ殿!
弥助。 医者だ。 医者だよ 医者。
おやじ殿… しっかりしとくれよ! 後生だからさ!
♬~
あのしるしは 中気でござろう。
一たび寝ついてしまえば いずれ ここも呆ける。
すぐに 江戸だけではなく 諸国の版元や絵師に知れ渡った>
どうも ありがとうございました。
五助。 へえ。
ああ… は~い。
は~い 気持ちいいね。
お栄さん。 ここは あっしらが なんとか しのぎやすから➡
おやじ殿の介抱に専念して下さい。
うん… ありがとう。
おい ちょうさん。 へえ。
こっち 頼まあ。 はいよ。 何でもやりますぜ。
(小兎)ああ~ うまくのめたねえ。
お栄が作ってくれたのさ。 ねえ。
ああ ちょうどよかった。
下帯をきれいに洗っといとくれ。 もう替えがないんだ。
なあ おっ母さん…。 (小兎)ん? 何だい?
もう10日だ。
おやじ殿 そろそろ 筆を持つ修練 始めてみても…。
何だって?
養生してる最中の親に向かって よくも そんな…。
でも… これじゃ まるで赤ん坊だ。
なあ おっ母さん。
おやじ殿は… おやじ殿にとって 絵を描くって事は…。
ご覧よ!
これ以上 どこに かじる すねがあるってんだい!
ひどいよ お前は ひどいよ…。
♬~
失いたくない。➡
これは 私の欲なんだろうか>
♬~
≪御免!
何だい…。
ああ 滝沢と申す。
付近をたまたま… たまたま 通りすがった故に➡
北斎翁にお取り次ぎを願いたい。
滝沢様?
鳥を逃がしてしもうたそうな。
あれほどのカナリアは おらんというのに もう➡
粗忽 軽率 愚の骨頂 極まりないわ。
滝沢馬琴先生…。
無様よのう!
葛飾北斎が… こんな掃きだめで恍惚としおって。
絵師風情が このまま 枯れ木のごとく枯れ果てようと➡
わしには 何の痛痒もござらん。
人並みの往生を望もうとも わしの知ったこっちゃない。
だが…。
わしは かような往生は望まぬな!
たとえ右腕が動かずとも この目が見えぬ仕儀に至りても➡
わしは 必ずや戯作を続ける。
まだ何も書いておらぬ。
己の思うように書けた事などは ただの一度もござらぬ。
その方も… さようではなかったのか?
葛飾北斎! いつまで養生しておるつもりぞ!
ここで もう満ち足りたのか!
描きたき事 挑みたき事は まだ 山とあるのではなかったのか!
あの野郎…。
そなたが お栄さんか。
拙宅で取れた柚子だ。
これを細かく刻んで酒を加え 焦がさぬように煮詰めろ。
水あめのごとき様子にならば 火から下ろし➡
白湯で割って 口に含ませてやれ。
柚子と酒? さよう。
酒の毒は 煮詰めれば とぶ。
柚子を刻むは 竹べら。 煮るは 土鍋に限る。
≪おおお…。
おやじ殿…。
ああ…。 ああ… どうした どうした!
どっか痛むのかい? おお… お栄 お栄。
無茶しないどくれよ! 骨でも折れたら…。
お栄…。 ああ… うわっ!
お栄…。
養生は… もう… 飽いた。
はっ…。
よし。
♬~
これさえ飲んだら 必ず 元に戻れる。➡
おやじ殿は そう信じているようだった>
お栄 帰ったよ。
また 作ってるのかえ。 ああ。 もう無くなると思うと➡
見計らったみたいに 届けてくれんだよ。
ありがたいよ。
お栄。 あっ?
(小兎)お父っつぁんを頼んだよ。
おやじ殿は 絵こそ まだ描けないものの➡
筆を持っても 落とさないところまでは回復した>
おっ母さんだった>
どうも お待たせしました。
ありがとうございました。
よう。
どうした? こんな所で。 乙粋じゃねえか。
西村屋に品を納めた帰りだよ。
おやじ殿の安茶と大福餅さ。
もう描いてるらしいじゃねえか。
ああ お医者も目ぇ丸くしてる。
もう二度と描く事を 手放すまいって思ってんだろうな。
お前は?
お前も描いてんだろ?
私か…。
私 何なんだろうな…。
おやじ殿の事ばっかり考えて…➡
私 ちっともおっ母さんの事なんか 思いもつかなかった。
そうさ…。
私は おやじ殿を… おやじ殿の 絵を失うのが怖かったんだよ。
親よりも絵が大事なんて 私ってやつは…。
大丈夫だよ。
おっ母さん きっと 全部分かってる。
分かってるさ。 大丈夫。
善さんにも いろいろ世話になったな。
おっ母さんの野辺送りには 妹さんたちや…➡
あの お滝さんだっけ。 あの人も来てくれて。
本当 ありがたかったよ。
そうか お滝も行ったのか。
あいつ 毎日 顔突き合わせてんのに➡
そんな事 ひと言も言いやがらねえから。
毎日?
ああ 今 一緒に住んでる。
おっ そうだった。
これ これ。 これ どうだ?
何? この青。 ヘヘッ。 ベロよ。
浮世絵で このベロ使ったの 俺が初めてなんだぜ。
おやじ殿に見てもらいてえと 思ってよ。
うん… 深い青だ。
普通の藍じゃないね これ。
おうよ。 さすが お栄だ。
あ~ お前に 先に見せるんじゃなかったな。
親子ともども➡
あっと のけぞらせてやるつもり だったのによ。
ああ?
どうした?
具合でも悪いのか?
♬~
私は とうとう 毒を食らう>
♬~
こんな事になっちまって お滝さんに気が差さないのかい?>
差すよ。 あっし あの人 嫌いじゃない。
いっそ奪っちまいたいって 思ってるんだろう>
うるさい うるさい。
私は きっと 相手は 誰だってよかったんだよ。
たまさか 気の合う男が そばにいただけの事。
これから先 どうなるかなんて 思案に暮れるのは➡
真っ平ごめんだよ。
はあ いいじゃないか。
朝になれば 家に帰っていくんだから。
(小声で) あれ 誰としゃべってんですかい?
知るかい。
じゃあ あっしは これで。
ほら 行こう。 気ぃ付けて。
こいつは また。 おう。
独り立ちする事になった>
おやじ殿! 火事ですぜ! 佐久間町の辺りだって!➡
もう 京橋辺りまで 火が来てるって。
そりゃあ 芝まで火にのまれるぞ。
じゃ 善さんの住む惣十郎町も…。
♬~
江戸は よく燃える>
善さん…。
朝焼けでも夕焼けでもない色を 見せる。➡
善さんの家は 焼け落ち それから3年➡
生きていると噂は聞くものの 姿を見せる事はなかった>
(与八)あの己丑の大火で➡
手前ども西村屋は 大事な版木の全てを失いました。
うちだけじゃない。
江戸の版元のほとんどが 同様のありさまです。
でも うちは だからこそ やってやりたいんです。
こいつは 大博打になるな。
ねえ おやじ殿は 何を描く?
そりゃあもう決まってる。
お待たせ致しやした。
これは…。
どんどん富士を描き➡
西村屋は 「富嶽三十六景」と名付け➡
鳴り物入りで売り出した。➡
ほかの仕事は 一切 私が引き受けた>
売れに売れまくって➡
新しい名所絵の流行りを 作り出し➡
日本諸国 北は松前 南は薩州まで➡
あらゆる所で おやじ殿の富士が 拝まれるようになった。➡
北斎の名を知らぬ者は いなくなった>
途中で落とすんじゃねえぞ。 はい。 ねえさん 頂いていきます!
ご苦労さん。
じゃあ ねえさん あっしらは これで。 ああ。
これ。 へえ。
ありがとよ。
あっしも これで。 失礼しやす。 ご苦労さん。
よう。
変わりはねえか?
変わりねえみてえだな。
何だよ その面。 びっくりし過ぎだろう。
変わりねえ訳ねえだろ。 何年たってると思ってんだい。
ご挨拶だな。 桜餅買ってきたのによ。
おやじ殿は?
絵 描きに出かけちまったよ。 そっちは?
ん?
根津で女楼屋してるなんてえ 聞いたけど うそだろ?
ああ 本当さ。
所帯持って女楼屋始めた。
そうか。
ハハッ! しっかし…➡
ますます売れっ子だってえのに 本当に変わりねえな。
もうちっと いい暮らし できそうなもんだ。
食って寝られりゃ上等だよ。
おかげさまで 酒も煙草も 好きな時に好きなだけ味わえる。
私は 描いてさえいれば幸せさ。
この間の「菊に虻」 あれ お前の筆だろ。
虻は おやじ殿。 でも 菊はお前だ。
それから 「牡丹に蝶」。
あっちは 花が おやじ殿で 蝶がお前。
当たりか?
分かっちまうのかい。 そりゃ よくねえな。
お前の絵には 色気がねえからな。 ほっとけ。
お前も もう てめえの名前で 注文が来てるらしいじゃねえか。
これからは もっと 己の名前で描きゃあいい。
おやじ殿は 私にとっちゃ光だよ。
眩すぎて 到底届かない。
それに おやじ殿の名で描いた方が よっぽど高く売れるってのにさ。
これ 桜か?
ああ。 向島の料理屋から受けた注文でね。
灯籠と こっちも灯籠って事は これ 夜桜か?
座敷に飾って お客の目に触れるのは夜の宴だろ。
ぼんぼりをともした 薄闇の床の間には➡
こういうのもいいかと思ってさ。
夜に夜の景色 見せんのか。
夜の闇の中にも いくらだって 光と影があるだろ。
闇のおかげで 光も いろんな色を見せる。
この子は今 灯籠の明かりを頼りに 歌を詠もうとしてるんだ。
夜には きっと 昼には書けない歌が詠める。
本当 お前ってやつは…。
お前は 本当 己の腕を分かっちゃいねえんだよ。
あきれるほど。
どういう意味だ? 意味が分からねえ。
俺にとっちゃ お前も光って事よ。
くらくらする 眩しい光だ。
ハハッ…。
俺は もう 絵は描かねえ。
お前は描き続けろ。
♬~
(笑い声)
家移りは これっきりにしてもらうからね。
もう ごめんだよ…。
奥だぞ。
じゃあ あっしは これで。 ああ。
徐々に一点物の絵に 力を注ぐようになった>
帰ったよ。
おや 珍しい。 起きてたのかえ。 お栄…。
西村屋さんに スイカもらったけど➡
長屋の女将さんに あげちゃっていいよね。
私 こんなの切るの面倒くさくて。
お栄。 えっ?
善次郎が死んだ。
寝ぼけてんのかえ? 縁起でもない夢…。
さっき 女房から使えが来た。
今夜 野辺送りだそうだ。
あっ そう。
嘉永元年 夏➡
溪斎英泉こと 池田善次郎 死んじまうってね…。
あんな ずうずうしいのが 風邪なんぞで逝っちまうとは…。
ちゃんと見送らねえと いつまでも尾を引くぞ。
今からなら まだ間に合うかもしれねえ。
♬~
あばえ… 善さん。
きっと まだ 閨の事は好きじゃない。➡
いつか 自分も 花魁のようになれるかどうか➡
不安でたまらない。➡
でも わちきも琴は好きだ。 お客が喜んでくれる。➡
右手には 婀娜な女芸者。 年は 25か26か。➡
心底ほれた男が これまでに1人いる。➡
けれど その恋は かなわなかった。➡
今は 親子ほど年の離れた 旦那がいる。➡
もの足りなくもあるけれど 私には 三味線の腕がある。➡
左で胡弓を弾く娘は 町娘だ。➡
商家の一人娘で➡
いずれ 遠縁から婿を迎える事が 幼い頃から決まっている。➡
許嫁は 洒落者を気取って 「芝居を見よう。➡
菊細工見物は どうだ」と 誘ってきて煩わしい。➡
本当は 若い手代の一人が気になる。➡
ふとした拍子に目が合えば 胸がどきついて…>
♬~
酔女?
世を捨てたような画号だな。
お栄の栄と 酔うっていう字は➡
おんなじ音だからな。
♬~
私らしいだろ?
ああ こいつは軽い。
藍群青に子持ち縞たあ 乙粋だ。
卒寿の祝いだから 紫群青が いいって言ったんですけどね➡
うちのかかあが こっちの方が 顔写りがいいからっつって➡
聞かねえんでさ。
この墨絵 お栄さんですかい? ああ。
おやじ殿が 正月に富士の絵を やりたいって言いだしてね。
う~ん… このままじゃ 絵組みがさみしい気もするけど…。
う~ん…。
お栄。 ん?
富士を仕上げるぞ。
♬~
刷毛 筆。
♬~
水。
♬~
(弥助)はあ~…。
はあ~… すげえ。
すげえ。
ああ… うまくなりてえ…。
天が あと10年… いや 5年 命をくれるなら➡
俺は 本当の絵描きになってみせる。
きっと なってみせる。
♬~
(猫の鳴き声)
(鳴き声)
♬~
(泣き声)
私も うまくなりてえなあ…。
(泣き声)
なりてえなあ…。
♬~
弟の家に やっかいになった>
(弥生)義姉上 また黙ってお出かけになって。
新吉原へ行ってたんだよ。 (崎十郎)そうですか。
大変な にぎわいだったでしょうね。
供も連れずに。 私たちが いかほど案じていた事か。
それは 心配をかけて 申し訳のない事だったね。
また そうやって 口先だけで わびられる。
武家にとって あらぬ噂を立てられる事が➡
いかほど不面目か。
笑われるのは あなた様の弟君と私です。
そう お盆の頃だって…。 もう分かったから➡
くどくど言うんじゃないよ。
♬~
(弥生)ほんに 義姉上ほど 気随気ままな方はいません。
まあまあ。 石や草 木の実まで 家の中に持ち込んで…。
それが 父上や姉上の生業だ。 目くじらを立てるな。
はあ…。
ほ~れ。
こうして ここに 深~い黒を落とすだろう。
そうすると こっちの明かりが 余計強く宿って…。
そう…。
これが光さ。
光が それを浮かび上がらせる>
♬「とんび からすに ならるるならば」
(笑い声)
♬「飛んで行きたや 主の側」
♬「はっ ちりちりちん」
♬「つるつるつん」
♬~
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