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Original subtitles

最強の船になることを期待され…

敵に立ち向かい、

時に勝利し、時に敗北し…

乗組員の勇敢さによって歴史にその名を刻んだ…

伝説の艦艇をご紹介する

「海の英雄」 シリーズ

今回取り上げるのは、

「大和 -

伝説的戦艦の生涯」 です。

1945年春、日本が太平洋戦争に勝利するには、もはや奇跡にすがる以外ありませんでした。

この 「日出ずる国」 は事実上すべての海上・航空戦力を喪失し、

一方のアメリカ軍は日本本土の島々へと上陸を開始していました。

4 月 6 日朝、大和は彼女の最後の戦いのために出航しました。

日本に残された一縷の望みは

当時世界最大かつ最強の戦艦であった大和に託されたのです。

「天一号」 と命名されたこの作戦は、

非常に危険な作戦でした。しかし、大和に対する信頼はほとんど信仰に近いものであり、

日本人は、彼女ならば運命を味方につけてくれる信じていたのです。

大和の艦歴は、この伝説的な最後の作戦より 10 年前に始まりました。

1935 年 10 月、日本人技師たちはこの高名な戦艦に関する最初の設計図を作成しました。

パナマ運河を航行可能な大きさに艦艇のサイズが制限されていたアメリカとは異なり、

日本は艦体形状と排水量の大きな艦艇を建造し、

最大限の兵装を施すことができました。

日本の設計技師たちが建造しようとした強力な戦艦は、当時存在したすべての他国艦と

続く数年間に建造される全艦艇を圧倒するものになるはずでした。

私の後ろに見えている工場群が当時の呉海軍工廠です。

この造船ドッグで戦艦大和は建造されました。

起工が 1937 年、就役が 1941 年です。

大和は世界最大の戦艦でした。当時、総建造費用は 1 億 3 千万円に達しました。

現在の時価に換算すると 1 兆円以上になります。

もともと、日本は 4 隻の大和型戦艦を建造予定でした。

しかし、太平洋戦争が始まったため、2 番艦である武蔵の後、

日本は 3 番艦信濃の建造を中断し、

4 番艦は建造されませんでした。

その後、信濃は航空母艦に改装されました。

日本の古名ででもあるこの名を持つ大和、

彼女の建造中には、厳しい情報統制が行われました。造船ドックの周囲は高い幕で覆われ、

すべての技術者たちは情報の秘匿を宣誓しました。

そして、出入りする労働者たちには顔写真を使った本人確認が行われました。

彼らは確かに、隠すべき何物かをそこに有していたのです…

総排水量: 72,808 t

全長: 263 m

船幅: 38.9 m

吃水: 10.8 m

兵装 主砲

九四式四〇糎三連装砲 3 基

口径: 46 cm

副砲

三年式 15.5 cm 三連装砲 2 基

対空砲

八九式 12.7 cm 二連装砲 12 基

九六式 25 mm 三連装機銃 50基 および単装機銃 2 基

搭載機: 7 機 (偵察機および観測機)

装甲 主装甲帯: 27 ― 41 cm

主砲塔: 19 ― 65cm

司令塔: 30 ― 50 cm

主機

艦本式タービン 4 基およびロ号艦本式ボイラー 12 缶

出力: 154,000 馬力

最大速力: 27:4 ノット

航続距離: 7,200 海里 (16ノット時)

大和の最大の特徴はその主砲塔で、各砲塔が 46 cm 砲を 3 門搭載していました。

この主砲は約 1.5 t の砲弾を射出でき、その初速は秒速 790 m でした。

バーベットを含めた各砲塔の重量は 3,000 t、その内部では 150 人の乗組員が作業を行いました。

大和の主砲塔は火器管制装置で誘導されました。これは射撃情報指示器、

測距儀、初期のコンピュータである九八式射撃盤などから構成されていました。

この火器管制装置は当時最先端のシステムでした。

対艦用火器管制レーダーの欠如は、最高級の斉射管制装置によって補われていました。

これにより、日本海軍の砲撃能力は世界でも最高水準に達していたのです。

大和の副砲塔は 2 基で、各砲塔が 3 門の 15.5 cm 砲を搭載していました。

この副砲は素晴らしい射撃諸元を有し、標準的な巡洋艦の装甲を貫通できました。

しかし、発射速度が非常に遅いという欠点がありました。

大和は就役時に、遠距離迎撃用に 6 基の 12.7 cm 二連装対空砲を、

そして短距離迎撃用に 8 基の 25 mm 三連装機関銃を搭載していました。

これらの対空兵装の数は、戦争中に絶えず増加していきました。

12.7 cm 対空砲と 25 mm 機関銃は異なる射程を有していました。

このため、敵航空機がこれらの射程の隙間に飛んできた場合、効果的な迎撃はできませんでした。

さらに、12.7 cm 対空砲は旋回速度が比較的遅い上に仰俯角性能が悪く、

一方の 25 mm 機関銃は仰角次第では最大の毎分 14 発の発射速度に達しないことがありました。

大和は建艦史上最も重装甲の艦でした。ライバルであるアメリカのアイオワ (Iowa) は、

大和よりも平均 100 mm 装甲が薄かったのです。

この日本の超大型艦の装甲帯は、全長の約半分に及ぶ艦央部を覆っていました。

最も厳重に防護されたのは司令塔でした。

兵装システムは文字通り超大型でした。

日本は他の艦を 10~15 隻集めたような 1 隻の超大型戦艦を建造したのです。

しかし問題はこれが割に合わないことでした。

大和型戦艦を 1 隻建造したとしても、

アメリカの 2、3 隻、あるいは 10 隻の戦艦相手にはおそらく負けてしまうでしょう。

大きさだけでなく、機動性、量、質、舷側へ向けての斉射威力などの諸元も重要なのです。

大和は 1941 年末に就役しました。

最初の作戦であるミッドウェー海戦において、大和は連合艦隊の旗艦を務めました。

1942 年 6 月 4 日から 6 日にかけての戦闘中に

大和は一発も砲弾を発射せず、艦隊司令部が搭乗する艦として専ら運用されました。

日本軍は、彼らの最高の戦艦を温存して

米海軍との来たる決戦のために備えるよう命じたのです。

その結果、日本海軍の乗組員たちは彼らの旗艦に失望するようになりました。

彼らは 「世界三大無用の長物」 として、

中国の万里の長城、エジプトのピラミッド、そして戦艦大和を並べさえました。

1944年秋まで、この日本の超大型艦が真の戦闘を経験することはありませんでした。

姉妹艦武蔵と共に、大和はレイテ沖海戦でアメリカの上陸部隊を攻撃しました。

この戦闘で、大和の損害は軽微であり、これによって

彼女はその力を示し、巨大な不沈艦としての名声を回復したのです。

しかし、太平洋戦争の戦局は当時既に変わってしまっていました…

軍事技術の進歩は基本的に哲学の法則に従います。

新しい兵装システムを造るとき、設計者と軍は各種性能を強化しようと試みます。

こうして、砲はより大口径に、装甲はより厚くなります。

最終的に越えられない壁にぶつかり、海軍そのものの強化は不可能となり、

各種兵装を既存の枠組みの中で改良するだけになります。

その後に起こった革命的な変化が、艦載機および後のミサイルシステムの登場でした。

大和は戦艦建造の頂点でした。

彼女は、これから進歩する技術ではなく、既存の枠の中で技術を極めようとした結果でした。

1945 年、太平洋戦争の戦線は日本本土に及びました。

日本の連合艦隊の指令は、武士道の理念に則ったものでした。

大和に期待されたのは、彼女を護衛する軽巡洋艦 1 隻と駆逐艦 8 隻と共に

沖縄を防衛しアメリカ軍による島嶼部の占領を阻止すること、

あるいは最後まで戦い栄光の内にその生涯を閉じることでした。

この指令を受け、1945 年 4 月 6 日、

この伝説の日本戦艦は最後の戦闘のために出航しました…

アメリカは第 58 任務部隊を送り日本の連合艦隊旗艦を迎撃しました。

彼らは日本の海軍力を象徴する艦を撃沈する機会を見逃さなかったのです。

午前 10 時、大和から約 300 マイル離れたところに位置する 5 隻の正規空母および

4 隻の軽空母から、最初の米軍航空機の編隊が発艦しました。

合計 227 機の航空機が、日本艦隊を撃滅するための戦いに加わったのです。

戦闘は 12 時 34 分に始まりました。大和は 4 発の航空爆弾を被弾し、

1 基の 12.7 cm 対空砲と数門の機関銃が失われました。

その20分後、大和はさらに 2 発の爆弾を被弾し、左舷に 1 発の魚雷が命中しました。

大和は対空砲で応戦しました。

14 時 2 分、アメリカは最後の攻撃隊を、傷つきつつも未だに戦闘力を有する大和に対して発艦させました…

それはもう公開処刑のようなものでした…

大和は左舷に 3 発、右舷に 1 発、計 4 発の魚雷を被弾し、

ダメージコントロール機能を喪失しました。

大和は航行不能に陥り、徐々に傾き始めました。

そしてこの巨大艦が転覆した時、大規模な爆発が起こりました。

日本艦隊の誇りと希望であった大和は、こうして海へと沈んだのです。

艦隊司令官および艦長を含めた約 3000 人の乗組員が

大和と命運を共にしました。

日本人にとって、

戦場に散った真の侍にも似た大和は、今日でも日本の勢威を象徴する存在です。

伝説的な戦艦が建造された呉市には博物館が開設され、

その中央を飾るのは大和の 10 分の 1 模型です。

呉海事歴史科学館は今から 10 年前、呉市の豊かな海の伝統を

保存するために造られました。

現在では『大和ミュージアム』として知られています。

この博物館の展示は呉の海の歴史を反映しています。

つまり、この町の海事と技術の歴史です。

この博物館は非常に有名になり、

戦艦ファンが日本全国から訪れています。

しかし、本来はすべての造船技術に関する博物館であるという事実は忘れてはいけません。

通説では、大和を轟沈させた巨大な爆発は、

主砲の弾薬庫の爆発によって引き起こされたと言われています。

しかし、この恐ろしい爆発の真の理由については諸説入り乱れています。

その答えは、おそらく海の底に隠されたままです。

研究者たちはこれまでのところ、この大戦艦の引き上げには成功していません…

大和には多くの弱点があったことは事実です。

彼女の姉妹艦武蔵のように、この戦艦は空からの攻撃によって沈んでしまいました。

その主な原因は、大規模な空襲に対抗する能力を根本的に欠いていたことです。

大和は現在でも史上最大かつ最も強力な戦艦です。

軍艦の歴史に興味を持つ全ての人にとって、

大和は軍事力の象徴なのです。

敵にを脅かし打ち倒すために生まれた

この畏怖すべき鋼鉄の超大型艦は、敗北にも関わらずその勇名を轟かせました。

彼女は、おそらく今後も越えられないであろう超弩級戦艦の頂点を体現しています。

そしてこの意味において、

大和は常に象徴的存在であり伝説でありつづけるのです。

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